【ARUHI アワード2022 10月期優秀作品】『凪へ吹く風』獺川浩


「そんなこと初めて言われました」
「海外だとけっこうお馴染みの言葉なんだけどね、この国はちょっと遅れてるみたい」
「そうなんですね。知らなかった」
「だからあなたもね、気にしなくていいと思う。周りの人がガヤガヤ言うけど、そんなの全部聞き流しちゃってもいい。その出来事が『そういうもの』かどうかも自分で決めていいのよ」
 離婚してから、わたしの耳に入る言葉ときたら、憐れみと蔑みしかなかった。たまに「元気出してね」とか言われても、不幸という扱いに変わりなかった。
 でも、周りの認識がわたしに当てはまるかどうかは別の話。
 他人の言葉に惑わされ続けるというのは、自分の人生を歩んでいないのと同じだ。かといって傍若無人には生きたくない。
 自分本位に生きない代わりに、人のためにも生きない。わたしはわたしを幸せにするために生きていく。今そう決めた。
「はい」
 わたしのすっきりした顔を見てか、お淑さんも微笑んだ。
「大丈夫。私なんて七回も離婚してるんだから」
「ええええっ」
 驚きつつも、彼女が幸せそうなのは明らかだった。

 お淑さんと別れてから、自宅までの道を遠回りして歩いた。西の空では沈みかけの夕陽がにじんでいる。
 これからどうやって生きていこう。お淑さんの生き方は素敵だけど、同じ生き方がしたいわけじゃない。
 自分にとっての幸せは何かと考えていると、ふと住宅展示場のノボリが目に入り、家のことが浮かんだ。
 わたしが家を大事に思うのは、たぶん父親が転勤族だったからだ。あたらしい学校に入って友だちができても、すぐに離れることになる。友だちも先生もその土地に住んでいる間の一時的な関係で、真に心を開くことのできる相手なんていなかった。どこに行っても自分の居場所じゃない気がしていた。
 でも家は違う。いつも同じ家族と同じ安らぎがわたしを待っていた。やさしい両親と仲の良い妹。好きなシールを貼りまくった学習机と、二段ベッドの下段の暗がり。外で何があってもなくても、家だけは絶対に安らげる場所だった。
 同時に一軒家に憧れもあった。わたしの家というのは常にマンションの一室で、長くて二年もしないうちに変わってしまう。引っ越しを繰り返すのは、ある意味楽かもしれないけど、家を使い捨てているような感じもしていた。ずっと一つの家に住み続けるってどんな感覚なんだろう。わたしが感じている家の安らぎや愛着とは段違いなんじゃないか、という気すらしていた。
 結婚してもマイホームなんて考えがなく、ずっとマンション暮らしなのが当たり前だと思っていた。けれど本当にそうだろうか。
 今のわたしは、大海原に浮かんだ小舟みたいなものだ。行き先がなく、風もないらしい。実家という港はあるけど、いつまでもあるわけじゃない。
 ただ言いかえれば、どこへでも向かえるということだ。何をしてもいい。誰とも生きていけないとか、一人で生きられるほど強くないとか、何も決めつけなくていい。自由でいいんだと思う。
 だったら家をつくろう。わたしのためだけの家をだ。わたしがどこに行こうと何をしようと、いつでも帰ることができる場所。それこそがわたしに必要だ。
 どんな間取りで、どんな家具を置こうか。最高にのびのび自由に生きていくために、どんな家がいいだろう。考えだすとワクワクが止まらない。
 スマホを取り出し、片っ端からサブスクを解除した。まずは先立つものだ。帰って仕事探そう。新生活はここから始まるんだ。
 わたしのうちから湧き起こった風が吹く。
 彼方の幸せに向かって、舟は動きだした。

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