「そんなこと初めて言われました」
「海外だとけっこうお馴染みの言葉なんだけどね、この国はちょっと遅れてるみたい」
「そうなんですね。知らなかった」
「だからあなたもね、気にしなくていいと思う。周りの人がガヤガヤ言うけど、そんなの全部聞き流しちゃってもいい。その出来事が『そういうもの』かどうかも自分で決めていいのよ」
離婚してから、わたしの耳に入る言葉ときたら、憐れみと蔑みしかなかった。たまに「元気出してね」とか言われても、不幸という扱いに変わりなかった。
でも、周りの認識がわたしに当てはまるかどうかは別の話。
他人の言葉に惑わされ続けるというのは、自分の人生を歩んでいないのと同じだ。かといって傍若無人には生きたくない。
自分本位に生きない代わりに、人のためにも生きない。わたしはわたしを幸せにするために生きていく。今そう決めた。
「はい」
わたしのすっきりした顔を見てか、お淑さんも微笑んだ。
「大丈夫。私なんて七回も離婚してるんだから」
「ええええっ」
驚きつつも、彼女が幸せそうなのは明らかだった。
お淑さんと別れてから、自宅までの道を遠回りして歩いた。西の空では沈みかけの夕陽がにじんでいる。
これからどうやって生きていこう。お淑さんの生き方は素敵だけど、同じ生き方がしたいわけじゃない。
自分にとっての幸せは何かと考えていると、ふと住宅展示場のノボリが目に入り、家のことが浮かんだ。
わたしが家を大事に思うのは、たぶん父親が転勤族だったからだ。あたらしい学校に入って友だちができても、すぐに離れることになる。友だちも先生もその土地に住んでいる間の一時的な関係で、真に心を開くことのできる相手なんていなかった。どこに行っても自分の居場所じゃない気がしていた。
でも家は違う。いつも同じ家族と同じ安らぎがわたしを待っていた。やさしい両親と仲の良い妹。好きなシールを貼りまくった学習机と、二段ベッドの下段の暗がり。外で何があってもなくても、家だけは絶対に安らげる場所だった。
同時に一軒家に憧れもあった。わたしの家というのは常にマンションの一室で、長くて二年もしないうちに変わってしまう。引っ越しを繰り返すのは、ある意味楽かもしれないけど、家を使い捨てているような感じもしていた。ずっと一つの家に住み続けるってどんな感覚なんだろう。わたしが感じている家の安らぎや愛着とは段違いなんじゃないか、という気すらしていた。
結婚してもマイホームなんて考えがなく、ずっとマンション暮らしなのが当たり前だと思っていた。けれど本当にそうだろうか。
今のわたしは、大海原に浮かんだ小舟みたいなものだ。行き先がなく、風もないらしい。実家という港はあるけど、いつまでもあるわけじゃない。
ただ言いかえれば、どこへでも向かえるということだ。何をしてもいい。誰とも生きていけないとか、一人で生きられるほど強くないとか、何も決めつけなくていい。自由でいいんだと思う。
だったら家をつくろう。わたしのためだけの家をだ。わたしがどこに行こうと何をしようと、いつでも帰ることができる場所。それこそがわたしに必要だ。
どんな間取りで、どんな家具を置こうか。最高にのびのび自由に生きていくために、どんな家がいいだろう。考えだすとワクワクが止まらない。
スマホを取り出し、片っ端からサブスクを解除した。まずは先立つものだ。帰って仕事探そう。新生活はここから始まるんだ。
わたしのうちから湧き起こった風が吹く。
彼方の幸せに向かって、舟は動きだした。
『ARUHI アワード2022』10月期の優秀作品一覧は こちら ※ページが切り替わらない場合はオリジナルサイトで再度お試しください