いやだからやめなさいって。漠然と不安をあおるのは。
静かすぎるのがよくないのかと思い、国道まで歩くとアイスクリーム屋に入った。ポップな音楽に包まれながらアイスでも食べて回復しよう。思いきって三段重ねを頼み、席に座るなりかぶりついた。
口いっぱいに頬張ったから美味しさより冷たさが勝る。ちょっと痛いくらいだったけど、その方が頭がすっきりする気がして、一心不乱にむさぼった。
コーンまで食べきって一息つくと、隣りの席から「うふふ」と笑い声がした。見るとおばあさんだ。
「ごめんなさいね。すごい勢いだったから」
口元に手を当ててお上品に笑ってる。白髪まじりだけど髪はきれいで、よく見ればおばあさんというより老淑女って感じだ。心の中でお淑さんと呼ぶことにして、軽く会釈する。
「お詫びに何かおごるから許してね。カフェラテでいいかしら」
「いや悪いですそれは」
「まあいいからいいから。すみません、カフェラテひとつ」
にこにこと有無を言わさず注文されてしまったので、仕方なくお言葉に甘えることにした。お淑さんの席の横にはキャリーケースが置いてあり、そこにダンボールの板……みたいなものが差してある。なんだあれ。
「ああこれ?」
わたしの視線を感じたのか、お淑さんがその板を抜いて見せてきた。そこには太字のマジックで「山梨」と書いてあった。なんかテレビで見たことあるけど、まさかそんなという気持ちが押し寄せる。
「ヒッチハイク?」
「そうなのっ」
うれしそうに手を合わせる目の前のお淑さんと、ヒッチハイクという単語が結びつかなくて困惑する。いろんな疑問が湧いてきた。
「ヒッチハイクってあれですか。あの、ここまで乗せてってみたいな」
「そう、そのヒッチハイク」
「えっと、どこからどこまで」
「青森から始めて、沖縄まで」
「ええっ、すみません失礼ですがおいくつで……?」
「七十三!」
「えええっ」
わたしの驚きに対し、お淑さんは顔の横で可愛らしくピースしてみせた。その歳で、とか体力は、とかそういう心配は関係ないのかもしれない。
「一度やってみたかったのよね。ほら、これから寒くなるじゃない。冬が近づくにつれてあったかい南に行くのよ。それでまた暑くなるにつれて北へ向かって、最後は北海道でカニ食べるの。最高じゃない?」
「最高です……」
急にお淑さんがきらきら輝いて見えてきた。しかもこのあと山梨って、富士山眺めながらほうとう食べたりするんだろうなあ。
「お待たせいたしました」
店員さんがやってきてわたしの前にカフェオレと、お淑さんにアイス……ご、五段!
「せっかくですものね」
楽しそうにアイスをたいらげる姿に、ひっくり返りそうになった。
「ところで何かあったの?」
ココアを飲みながらお淑さんが訊いてきた。
「さっきがむしゃらにアイス食べてたでしょう。嫌なことでもあったのかしら」
言いづらい気持ちもなくはないけど、物腰の柔らかいお淑さんには話しても大丈夫な気がする。
「実は仕事を辞めて、というか離婚して」
「あら、おめでとう」
「え」
おめでとうってなんだ、遠回しの嫌味か。そんな考えが一瞬よぎったけど、お淑さんはごく自然に言った。
「だって新しい門出じゃない。祝福しなくっちゃね」
その瞬間、ずっと心の奥でもやもやしていたものが吐き出されていく心地がした。
わたしは彼について嫌なことがたくさんあった。
お茶碗にごはんつぶ散らかしまくった状態で食べ終わるし。
何種類か入った箱アイス買っても一種類だけ集中的に食べるし。
トイレにスマホ持ち込んで長時間出てこないし。
同じ会社で働いてるのにほとんど家事はわたしがやってたし、言ってもなかなかやらないし、やったとしてもテキトーすぎて任せられないし、それを向こうもわかってるから改善しないし。わたしだって映画観たり読書したり旅行したりしたいのに、休日はすり減っていった。
他人からみて「些細な出来事」で「離婚するほどじゃない」ことだとしても、わたしにとってはそうじゃなかった。
そして結婚前にそれらを見極められなかったわたしも悪い。
でも離婚自体が悪いわけじゃない。将来の幸せのために必要な選択だったと思う。
ただそれを認めてほしかった。誰かにそれでいいんだよって言ってほしかったのかもしれない。本当の意味で祝福されてそう思った。お淑さんはお祝さんでもあったのか。