「お母さんがいる時と全然変わらない」
慣れた手つきでお茶を淹れていた涼風が湯飲み茶碗を私の前にそっと置いた。
「どうぞ」
「名取さんでしたっけ?」
「すずか、でいいです」
にこやかに微笑む、目の前の若い女性は、理知的な雰囲気を醸し出し、おそらく世の中での好感度はかなり高めにセットされると思う。でも私の心にはざわめきが押し寄せ、敵対心のような言葉が頭に浮かんでしまう。自分を落ち着かせるため、私は淹れ立てのお茶を一口飲んだ。ん? 何? おいしい……。私は涼風を淹れたお茶をもう一口飲んだ。その時、玄関の引き戸が開く音が聞こえた。
「ただいまー」
涼風の顔がパッと明るくなったように見えた。
「帰ってきましたよ」
涼風が立ち上がり、ダッと部屋を出て行った。私は、呆気に取られてその様子を見ていた。新婚かよ……。でも、このお茶はおいしい。湯飲みを見て、もう一口飲んだ。
「おやー? これはまた随分と珍しいヤツが来たな」
久しぶりに会った父は妙に明るく話しかけてきた。見た目にも、かなり年を取ったようだ。それに、こんな風に話しかけてきた記憶がない。私は返答に戸惑うばかりだった。
「……。かなり元気そうね」
「見てのとおりだぞ」
父はぐるんぐるん腕を回して、私に向かってニコリと笑った。父が私に笑った顔を見えることなんてあっただろうか。
「いつ来たんだ?」
父は台所で手を洗いながら背を向けて聞いてきた。無愛想で短めの言葉。いつものスタイルに戻ったようなので少しホッとした。
「たった今」
「瑛舞は?」
「保育園。今日は連れてこなかった」
「そうなのか……」
父は、私の前に座るなり、涼風に言った。
「俺にもお茶。摩耶にも淹れてやってくれ。そうだ、餅菓子もあったよな? それも食べよう。どうだ、涼風の入れるお茶はうまいだろ」
「す、す、すずかって呼んでるの?」
「おかしいか? だってすずかって名前だぞ。お前だって摩耶じゃないか」
「いやいやいや。だってこの子、大学生なんでしょ?」
「涼風は大学で食品工学を学んでいるんだ。だからなぜかお茶がうまい。な?」
涼風はニコリと笑い、首を横に振る。
「でももうすぐ卒業なんだ。そしたら東京の食品会社に就職だそうだ。摩耶の家に遊びに行ったら良くしてやってくれ」
「えぇ? じゃお父さんはどうすんのよ?」
「なーに、また新しい家族を募るさ」
「はぁ? 新しい家族って何?」
「家族は家族だろ。携帯、持ってるだろ。検索しろ。出てくるぞ」
「そう言う話しじゃないって。二人は籍を入れてるの?」
一瞬の間。すぐに父が大笑いし、餅菓子の皿を持ってきた涼風もプッと吹き出した。
「予想どおりだな。涼風と話してたんだ。多恵から電話があったから、あいつ勘違いして、摩耶のところにも大騒ぎしてるんじゃないかってな。だろ?」
「違うの? 勘違い?」
「このアホー。お前も子供の頃から成長してないな。よくそれで親をやってる」
「だって。叔母さんが、女と暮らしてるって」
涼風が私の湯飲みにお茶を急須から注ぎながら言った。
「私は同居人です。昔の言葉だと、居候って言うんだと思います。高藤さんのお陰ですっごく助かってます」
「居候って家賃なしってこと?」
「はい」
父が大きく首を振っていた。
「ちゃんと対価、俺の面倒を見てもらってる。三度のうまい食事を作ってくれるし、話し相手にもなってくれる。涼風は将棋も強い。な!」
涼風が照れたように笑っている。父はこんなに饒舌に話す人だったのだろうか。
「ほら、摩耶。早く餅菓子をつまめ。久しぶりの実家だろ。もう風呂にでも入って、部屋でゆっくりしていろ」
「えぇー。まだ早いよ」
「実家っていうのは、のんびりする所なんだ。いいから親の言うことを聞け」
父はやはり父だった。
涼風が作った晩ご飯は絶品だった。悔しいけど、私より料理は上手に作る。これは才能と言うほかにない。洗い物をしている涼風の後ろ姿の声をかけた。
「いつもあんなにご飯を作ってるの?」
「今日は特別です。おかずは全て高藤さんのご指定どおりに作りました。摩耶さんのお好きな物だそうです」
「ふーん……」
「あの……。摩耶さん……」
涼風、下を向いて、言いよどむ。