「雄ちゃん!」
「少なくとも俺は――」
そこで雄さんは「おめでとう」なのか「ごめんなさい」なのか二人に向かって深々と一礼すると、言い放った。
「俺はしてほしくないんだよ!」
空気が張りつめる。結露がグラスの表面をすーっと流れていく。
「わたしは、分かります。その気持ち」
春子ちゃんがつぶやいた。
「その辺にしとこうか、ね」
大さんがカウンターの端に予備の椅子を加え、雄さんに座るよう合図する。雄さんは「すいません」とトイレへ消え、すぐに鼻をかむ音が響いた。
「雄ちゃんの分は料理ないからね!」
泉さんがトイレに向かって叫ぶ。「うるせ~」と、か細い声が返ってくる。みんなはそこでようやく、ふっと笑顔に戻った。
最初の一品がみんなの前へ出される。石井さんが育てたカボチャで作ったポタージュだ。量はちょっとだけ少ないが、雄さんにもちゃんと用意された。
紅白なますに鯛のお刺身、エビの唐揚げに特製ハム。あん肝のウエディングケーキにパパとメグさんがナイフを入れ、みんなから再び「おめでとう」の歓声が贈られた。それから二人はみんなの席を回り、会話をし、一緒に写真を撮っていく。
ユリは初めましての挨拶をし、簡単な自己紹介を交わした。
みんなは席をたち、思い思いの場所で飲み始めている。コロナ禍でリモートが増え、久しぶりに来店した常連さんもいる。生活スタイルが変わり、今までのように来られなくなった人もいる。転職した人、コロナに罹りしばらく家を出られなかった人、相変わらずな人もいる。
今日のこの会がなかったら、こうしてみんなが集まることはなかっただろう。昨年も、一昨年も、周年の日は酒類提供が禁止され、お店は休んでいたらしい。「今年こそはできるんじゃない?」と春子ちゃんがカレンダーをめくっている。
グラスを叩く音が響き、みんなは会話を止めた。
「わたしからもいいですか?」
奥のテーブルに戻り、メグさんが顔を赤くして立っている。言葉のところどころに、まだ少し母語の雰囲気が残っている。
メグさんが学芸員として日本にやってきたのは4年ほど前。同僚とたまたま入ったこのお店で、まだあまり日本語が話せなかったメグさんの隣に座ったのがパパだったらしい。パパは子どもの頃海外に住んでいて英語ができた。メグさんにとっては、お通しや珍味、日本酒や焼酎など不思議がいっぱいの居酒屋で、聞いたら答えてくれるパパは頼れる存在になっていったのだろう。
二人とも甘いものが苦手とか、共通する点も多かったらしい。
「今日はみなさん、ありがとうございます」
雄さんが特大の拍手を送る。続いてみんなも拍手をする。
メグさんはまぶたを閉じ、左手を胸に当てると「ふ~」と呼吸を整えた。メグさんのギュッと握られた右手をパパがそっと自分の手で包む。
「ここがわたしのホーム、もう一つの故郷です。ここがわたしのファミリー」
パパも立ち上がる。メグさんの肩をさすり、それから一緒にお辞儀をする。みんなはもう一度、大きく手を叩いた。ユリも頷きながら拍手をする。
「行ってらっしゃい。気をつけて」
大さんと春子ちゃんが入り口で手を振っている。
外に出ると、ひんやりとした空気の中に秋虫の歌が響いていた。パパとメグさんは引っ越しをして、今よりこのお店の近くに住むらしい。今日はその報告だったのだと、二人が帰り際に話していた。
今日は少し飲み過ぎた。
由紀さんと秀さんの後を追いながら、ユリは空を仰ぐ。小さなダイヤの満月が、みんなの帰り道を照らしている。
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(最終更新日:2023.01.10)