アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、2つのテーマで短編小説を募集する『ARUHI アワード2022』。応募いただいた作品の中から選ばれた10月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。
「にゃはははははは!」白い歯をキラキラ見せて、紫メッシュ混じりの前髪をおしゃれになびかせ豪快に笑う祖母は、私にとってのスーパーばあちゃんだった。私の祖母は書道の先生。自宅で書道教室をやっていた。長い和紙を次々に床に広げ、大きな筆でサラサラと私には読めない不思議な字を書く。それを見た周りの生徒さんたちは老いも若きも男も女も関係なく「おぉ~」と感嘆の声を漏らすのだった。柱の陰から覗く幼少期の私にとって、その様子はまるで不思議な呪文をサラサラ書いて周りを魔法にかけているように見えていた。「みんな私の祖母の真似をして一生懸命呪文の練習をするのかぁ。すごいなぁ。あの細長い赤い筆は祖母だけが持つことを許された魔法のステッキなんだな」みんなが私の祖母を囲み、豪快な笑いに周りはいつも和やかな空気に包み込まれる。そんな祖母は私にとって憧れのスーパーばあちゃんだったのだ。
今日も無事に呪文レッスンが終わったようだ。みんなが祖母にお礼を言っている。満足そうなみんなの顔を見ながら私も柱の陰から見送る。部屋にのこる墨の匂い。呪文レッスンの時にしか嗅ぐことのないこの落ち着く香りが余計におばあちゃんを特別なものに見せた。
祖母とはよく一緒に公園に散歩にも出かけた。小高い丘に祖母の家はあったが、さらに上った丘の上の方には公園があった。公園までの道すがら、祖母はいつも自販機でメロンソーダを買ってくれる。メロンの形のまあるい瓶のメロンソーダ。祖母がそれにストローをさしてくれる。私は落とさないように小さな両手でしっかり瓶を包み、飲む。隣では祖母も同じものを飲んでいた。シュワシュワする緑の液体を飲む祖母は、魔力を補充するスーパーばあちゃんだ。右手で拳をつくり「くわぁぁぁぁ」と注入を楽しんでいる。エネルギーがチャージされたようだ。祖母といるといつもワクワクした。ちょうど飲み終わった頃に辿り着く公園。だだっ広くて丘の上だから風もよく通り気持ちよかった。ちょっとした草スキーができそうな斜面を登ると、眼下には街並みが広がり、カラフルな屋根が当時の私の思い出を大人になった今でも色あせないものにしてくれている。緑の液体でパワーがチャージされた祖母は、もしかしたらマントが生えて、丘から突然シュパッと飛び立つんじゃないかとドキドキして気が気ではなく、私は祖母の手をしっかりとつかんでいた。祖母の手はつるつるしていて張りがあって温かかった。
今日も祖母は「にゃはははははは!」と楽しそう。寡黙な祖父にどんどん話しかけ、どんどん自分で返答する。一方通行に見えて、祖父も祖母も楽しそうな表情をしている。「きっとじいちゃんもばあちゃんの魔法にかけられてるんだな」と思うと、一方通行な会話の様子がおかしくてしょうがない。私も祖母の笑いにつられて笑ってしまう。祖母は周りを自分の笑いで包み込みながら、どんどん笑顔の魔法をかけていく。
「ほら、めちゃくちゃ色っぽくできたんよ」毎年恒例の祖母の自慢だ。美しい柄の陶器の器に、陶器の美しさに負けない美しい黒豆がこんもり。蜜が照り照りで漆黒の豆の皮はプリっと張っていて実はふっくら。祖母がつくる黒豆は一粒一粒が輝いていた。祖母はお正月にはおせちをつくってくれていた。たまに買ってくることもあったけれど、黒豆だけは毎年必ず自分でつくっていた。そして自慢げに家族に披露するのだ。黒豆づくりは難しい。固かったり、しわしわになったり、崩れたり、煮汁が飴状になってしまったり。だけど祖母の黒豆は生き生きとしていた。祖母のエネルギーが一粒一粒にみなぎっているみたいだった。祖母は、『謙遜が美徳』という世代だっただろうと思うが、自分が良いと思っているものに対して謙遜するような言い方はしなかった。そんなところが大好きだった。黒豆も「あんまりおいしくないと思うけど」とか「お粗末様でした」等という言い方はしない。自信をもって「今年の黒豆はめちゃくちゃ上手にできたんよ~、ほらほら、食べてみんね」と嬉しそうにみんなに箸を持ってくる。その目は黒豆のようにちょぼっとしていて黒くてキラキラしていた。新年から祖母の前向きな発言にいつも元気がもらえた。そういう人だから私も祖母の前では笑顔になれて、そんな自分のことも好きでいられた。