アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、2つのテーマで短編小説を募集する『ARUHI アワード2022』。応募いただいた作品の中から選ばれた10月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。
見慣れた女の子の笑顔にふっと息を吐いた。こちらの動きで俺と同じものに気が付いたのだろう春生が、同じように冷蔵庫に視線をやって、かすかに眉を寄せる。
狭いベランダからは電話をしている声がする。もう一人の従兄弟の秋生だ。わざわざ 外に出る必要もないだろうに、電話中、外に行こうとするのは社会人生活で染み付いた性みたいなものだろうか。
電話を終えてベランダから戻って来た秋生に話しかける。
「おばさんなんだって?」
「産まれるにはまだかかるって。産まれそうになったら連絡してくれるらしい。あと、ゆきがあいつのこと心配してるから、あんまりきつくしないでやってくれってさ、夏兄」
「は?なんで俺だよ」
「夏生が一番キレてるからだよ」と春生が言った。
「兄貴こそ怒ってただろ」
「俺はそうでもないよ」
三兄弟の怒りの矛先は、たった一人に向いているのだけれど、怒りの表し方は三者三 様だ。気の毒と言えば気の毒だけれど、矛先の張本人にそろそろ戻ってきてほしい、なんて思っているところに、タイミングが良いのか悪いのか。玄関にペットボトルを抱えた青年が現れた。
「お待たせしました、あのどうぞこれ良かったら」
汗だくになっている彼は、腕にペットボトルを4本抱えている。おそらくここにいる4人分。自分の分は勘定に入れなかったのだろう。狭い玄関の土間に、大の男の靴が4つも並んでいれば、それだけでも足の踏み場がない。その中で、靴を踏まないようにしながら
、ペットボトルを抱えたまま、もたもたとサンダルを脱ごうとして転びそうになっている
。三兄弟が氷のように動かないものだから、見かねて、結局は自分が声をかけることになる。
「あーごめんね、ひとりでこんな重かったでしょ」
ペットボトルを取り上げてやると、予定外だったのかびっくりした顔をしている。
「いや、そんなあの、ほんと、ただのペットボトルのお茶なんで、良かったらですけど」
「ありがと、いただく。4本しかないけど俺らでもらっちゃっていいの?」
「あ、はい皆さんにと思ったので」
「そう」
600ミリリットルの麦茶のペットボトル。表面についた水滴が受け取った手のひらを濡らした。
「すんません、今エアコン壊れてて、この部屋暑いですよね。大家さんには言ってあるんですけど、修理がだいぶ先になるらしくて」
「それは大変だね」
西に面して窓のある部屋では、今の季節はさぞやつらいだろう。話しながらペットボトルを配る。春生と、秋生は受け取ったけれど、夏生は頑として受け取らないつもりでいるらしい。仕方ない。
「こいつは飲まないみたいだから、吉村くん飲みな。自分の分、ケチったろ。エアコンもないんじゃなおのこと、熱中症にでもなったらこわいからね」
「いや、あの」
戸惑っている隙に無理矢理受け取らせる。従兄弟たちは、じっと彼の一挙手一投足を見逃さないとでも言いたげにじっと睨んでいる。これに関しては、まあ、仕方がないとは思う。少なくともこれ以上の助け船はこの空気の中、俺には出せない。
「あ、でも、エアコン壊れたの、ゆきちゃんが入院してからなんで、そこだけ良かったなーって。いや、入院は、良くはないんすけど」
「まあそうだね。妊婦の夏はエアコンないときつい、だろしね」
「吉村くんって言ったっけ」
ゆっくりと、春生が口を開く。俺はともかく、この兄弟と彼との初対面の瞬間というものはもうすでに済ませていて、その上で今、彼の家にまで押しかけている。挨拶はとうに終わっているわけで、名前なんて確認するまでもない。そんなわかりきったことを聞く、まるで父親みたいな口ぶりと、その声の固さに、吉村くんも慌てたようにその場で正座をして、背筋を伸ばした。