【ARUHI アワード2022 9月期優秀作品】『晴れでも、雨でも』室市雅則

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、2つのテーマで短編小説を募集する『ARUHI アワード2022』。応募いただいた作品の中から選ばれた9月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。

「これからどうするの?」
「でかいことをやる。今の会社は俺には小さ過ぎて合わないよ」
「でかいことって何?」
 浜田拓也は同棲中の彼女・友美の問いに言葉が詰まった。
三十歳となり、多少は世間を知りつつも、まだ青さが残る拓也は、「俺は何かを成す男なのだ」と漠然とした大望または明らかな幻想を抱き、会社を辞めた。大きな事へと足を踏み出そうとする拓也の勇姿に友美は喜んでくれると思って、何の相談もせず、退職した事実のみを伝えた。
それが「これからどうするの?」と現実的な反応があったのが癪に触った。今日は同棲を始めて三ヶ月目の記念日なので、友美が拓也の好物であるラザニアを作ってくれていたが、美味しいはずのそれにさえ腹が立った。
「これから見つけるよ」
「家賃は? 水道代は? 電気代は? ご飯は? 私が全部払えば良いの? 貯金なんてできなくなるよ」
「俺だって退職金も少しあるし、雇用保険だってあるから払う」
「その先は?」
「これから見つける」
 そう言って、拓也は食べかけのラザニアを一気に頬張って隣の寝室に逃げ、ベッドに不貞寝した。
 ダイニングキッチンと寝室のふた部屋で構成されているこのアパートでの逃げ場所は、ベッドかユニットバスしかない。狭くともずっと一緒にいられる幸福に包まれてこの暮らしを始めたが、このような状況になると嫌でも顔を合わせなくてはならず窮屈だ。
 拓也の耳にシンクにフォークが叩きつけられた金属音が響いた。
 まあ、落ち着けよ。俺は何かを成すから。そう思いながらも耳の奥に高い音が残った。

 それから半年ほどが経った。
 拓也は何も成していない。
 平日の朝はハローワークに行き、求人票を眺めるも「見合ってない」と応募もせず、すぐに帰ってきて、激安スーパーで買った一玉20円弱のうどんを茹でて食べ、昼寝をしたり、インターネットを見たりして過ごした。
友美は小学校の教師として働いている。会社員であった頃の拓也は深夜に帰ることも多く、家事は、ほとんど友美がこなしていたが、今では拓也の専業となり、自ずとアイロンがけも料理も腕が上がった。
しかしながら、相変わらずお金は出ていくだけで、二人の間の溝も深まっていた。そろそろ不味いと考えた拓也は、晩ごはんにおでんを用意した。昆布と焼きあごを組み合わせの出汁からとった自信作である。温かいものを食べて、身も心も温かくしようという魂胆である。友美が出勤をした後、開店したてのスーパーに向かい具材を購入した。具がたくさんあった方が色々な味がコラボレーションするとネットで見かけ、様々な具材を買い込んで、コトコトと煮込み続けた。部屋中に出汁の香りが充満し、友美は帰ってきた瞬間に晩御飯が何か分かるだろう。
「ただいま」
「おかえり」
「おでん?」
 そう言って友美はコンロにかけられた鍋の蓋を開け、中を確認した。
「見るからに美味しそうでしょ? おでん屋でも開こうかな」
「これどうしたの?」
「朝から作ったんだよ。大根なんてホロッホロ」
「いくらかかったの? こんなにたくさん。何食分? ガス代は?」
 友美が乱暴に蓋を閉じ、わざとらしい大きなため息をついた。
「分かったよ。稼げば良いんだろ」

 拓也はその日の夜、ネットでアルバイトを探した。そして、見つかったのは、日雇いバイトで、即採用、即勤務を謳った引越し作業員の求人であった。引越しは、かなりハードであると聞いたことがあったが、すぐに稼いで、友美を見返しやりたい。自分の顔をスマホで撮影し、申し込むと本当に即採用となり、早速翌日から働くことになった。この時間に採用されるとは怖い気もしたが、やるしかない。

「行ってきます」
 翌朝、拓也はそう言って家を出たが、休日である友美はベッドに寝たまま。朝ご飯は、物音で友美を起こしては悪いと思って、コンロに置きっぱなしであった冷めたおでんを温めずそのまま食べた。不味くはなかったが少し体が冷えた。ドアを開けると外は薄暗く、小雨が降っていた。それでも行かなくてはいけない。

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