詰め合わせを受け取りタクシーに乗ると、ひざにのせた折詰の重さがどこか懐かしかった。代々木八幡を過ぎ、代々木公園の横の井ノ頭通りを走っていると、小さな公園から子供たちの声がきこえてきた。公園沿いには桜の木が植えられていた。折詰の重さも加わり、一気に懐かしい記憶が映像となって甦った。そうだ。ここで花見をするのが好きだった。カブリオレの天井をあけ、桜を真上に見ながら、この寿司を味わうのだった。お酒が飲めないのが残念だったが、それにかえても十分なほどの春の楽しみだった。結婚前はひとりで、夫と一緒になってからもきたことがあった。ひざに置いた折詰が、あの人の手の重さのように心地よかった。
「おかえりなさい」
車を降りた翔子をすぐに迎える声があった。義理の妹の柚乃だった。まっすぐな黒い髪がつややかに肩に流れ落ちている。目鼻立ちははっきりしているが、決してきつい顔立ちではなく、どこか翔子とも似ていた。おかげで、実の姉妹に間違われることも多かった。背格好も似ていたこともあったかもしれない。
「ただいま。ちゃんと買ってこられたわ」
「ご機嫌とっちゃって、嫌だわ」
いい忘れていた。その容貌に反し、歯に衣着せぬ物言いが柚乃の常だった。夫の弟の嫁、そしていまの翔子の家族。
翔子は、聞き流すように家を見上げた。昭和の初期に建てられたという和モダンな洋館だ。角度のついた屋根に大きな窓。ドラマの撮影に使わせてほしいとよく頼まれるが、そんなもの、義母が受け入れるわけがない。
確かにその姿はすてきだった。夫に初めて実家に連れてこられてきたとき、思わず見とれたものだった。それは暮らし始めたいまもかわらない。この家があるから、ここに暮らしているのだろうと翔子は思った。
「早く家に入らないの? お寿司が悪くなるじゃない」
そうだった。家には怖い魔女が、じゃなく、怖い義母が待っているのだった。早く捧げものを渡さねば何をされるか。くわばら。
さっきまで雑誌の撮影をしていたと思えないレトロな口調の独り言を頭の中でループさせながら翔子は家に入った。家に帰ったのでなく、家に入ったという表現がぴったりな感じがいつもするのだった。
70に届いたばかりの義母は、いまも背筋がのび、育ちの良さがにじみ出ていた。実家は戦後の財閥解体にあわなければかなりの家柄だったらしいが、義母の代にはもうすっかり庶民寄りだったそうで、葉山に残った別荘だけが名残だった。
「またそんなつまらない恰好をして、とても雑誌に出る仕事をされるとは思えない、冴えない姿ねえ」
いつもと変わらぬ出迎えの言葉だった。それでも折詰はしっかりと義母の手に移っていた。早く食事にするのだろうと思い、部屋に荷物を置きに行こうと思った。