「どないした? 辛気臭い顔して」
愛煙家が珍しい社内で、河原部長は数少ない煙草仲間だ。仙台支社へ出張だったそうで、顔を合わすのは一週間ぶりだった。
「ちょっと色々ありまして」
「新婚やのに何言うてんねんな」
「そうなんですけどね・・・・・・」
余韻を残す俺の返事に、間髪入れず河原部長が返す。
「家でもピリピリしてるか?」
「妻ですか?」
「あぁ、そうや」
「いつも通り過ごしてますよ。まぁ、少し疲れてるようですけど」
「彼女、部下のミスを処理するのに追われてるんや。まぁ、仕事が早いしうまく対応してるから、じきに落ち着くやろ。暫しの辛抱やな」
河原部長が俺の肩を叩いて喫煙室を出て行くと、甘いメンソールの香りだけが残った。
莉子が抱えるトラブルはきっと数百万円、数千万円もの金額に違いない。俺だったらそよ風にさえ吹き飛ばされそうなくらい、ペシャンコに押し潰されていることだろう。
アロハとジーンズくらいで塞ぎ込んでいる自分が情けなかった。
無事にタスクを終えたという莉子の表情に明るさが戻った。
「わぁ、美味しそうっ!」
その笑顔は無理に作ったものではなさそうだ。
出来合いではあるが寿司や惣菜が盛られた皿が並ぶテーブルは、さながらパーティーのように華やかだった。そして、ビール。莉子の好きな冷えたビールで労いたかった。
こうして二人で飲むのは随分と久しぶりだった。
ビール片手にテレビを観ながら他愛もない話をし、だらだら過ごす週末のひと時。俺が莉子とずっと一緒にいたいと思ったのは、こんなありふれた時間に幸せを感じられたから。
「なぁ」
「ん? どしたの?」
「渡したいものがあるんだ」
「えっ? 誕生日プレゼント?」
莉子が目を大きくして身を乗り出した。
「誕生日は半年先だし」
俺は足元に忍ばせていた紙袋を手に取った。
「うわっ、サプライズ!?」
「いや、違うんだ。あの、あれだよ、あれ。小さくなったアロハシャツ。ひょっとして莉子にジャストサイズなんじゃないかなって。あ、けどそれだけじゃ申し訳ないからキャップは買った」
莉子は紙袋を受け取ると「着てみるね」と言い、寝室へと向かった。
そして「どう?」とベージュのキャップを被り、アロハシャツに袖を通して俺の前に現れた。きっちりとした仕事のイメージと違い、普段の莉子はカジュアルを好むし、よく似合う。
「いいじゃん、うん。ほんと、めちゃくちゃ似合うよ」
奇跡的にサイズはぴったりだった。なにより、受け取りようによっては皮肉とも思えるプレゼントを心底喜んでくれたことが嬉しかった。
「けど、ジーンズはどうしようもないね」
眉を下げる莉子に向け、俺はジーンズを広げて見せた。
「プチリメイクしたんだ」
「可愛いじゃん!」
「だろ? たまたま雑貨屋でスマイルのワッペン見つけてさ。もしかしたらサイズいけるんじゃないかって思ったら、マジでぴったりよ。こういうのも悪くないな」
「うんうん、いいよ!」
本当に何十人もの部下がいるのかと思うほど莉子は無邪気だ。
何事にも前向きな莉子のことが、俺はやっぱり好きだ。
「ミスは誰にでもあるから、それをどうフォローするかが大切だね」
「それを莉子が言うのはどうかと思うけどなぁ」
意地悪な口調の俺に、莉子がゆっくりと顔を寄せる。
「な、なんだよ?」
「発注のときは、ゼロの桁をちゃんと確認しましょうね」
「えっ?」
莉子は俺の鼻にキスをした。
「さぁ、過ぎたことは忘れて今日は飲みましょう!」
「あ、あぁ。ちょっ、トイレ行ってくる」
慌てて立ち上がった俺の足が、思った以上にふらつくのはビールのせいだろうか。いや、そんなに飲んではいないはず。
俺はトイレに行くフリをして玄関の人形の配置を直そうとした。が、既に二人は仲睦まじく肩を寄せて座っていた。
「いつの間に・・・・・・」
お互いに相手を思いやり、支え合える素晴らしさ。そんな生活をこれからも莉子と送っていきたいと、しみじみ感じるのだった。
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