マンションのトレンドをさまざまな角度から分析するシリーズ。今回はマンションの間取りです。マンションの間取りがどのように変遷して現在に至っているのかを知ることは、これからの変化を読むヒントになり、住まい選びの参考になるはずです。
日本の共同住宅の先駆けとなった同潤会アパート
日本で鉄筋コンクリート造の共同住宅が一定量供給されたのは、関東大震災後に東京を中心に建設された「同潤会アパート」といわれています。木造の住宅がほとんどの時代、鉄筋コンクリート造りの強固な建物で、水道、電気、都市ガスはもちろんのこと、当時では極めてめずらしかった水洗式トイレが設置されるなど、時代を先取りした住まいでした。
建設から半世紀以上が経過して、現在ではすべて建て替えられ、たとえば、「代官山アパートメント」は「代官山アドレス」に、「青山アパートメント」は「表参道ヒルズ」、「江戸川アパートメント」は「アトラス江戸川アパートメント」などに姿を変えています。
このうち「代官山アパートメント」の一部は、東京・八王子の集合住宅歴史館(令和4年3月31日をもって閉館)に移設され、当時の室内が再現されました。それだけ、日本の集合住宅の歴史を知るうえで重要な存在とされているわけです。
「代官山アパートメント」の代表的な間取りは、今で言えば2Kの極めてシンプルなものでした。トイレはありますが、風呂はありません。ただ、「江戸川アパートメント」のように規模の大きな物件では、建物内に大浴場が設けられていました。
1950年代に2DKの団地スタイルが定着
戦後になると、厳しい住宅難を解消するために、日本住宅公団(現在のUR都市機構)、都道府県の住宅供給公社などが各地に大規模な団地を建設、それにふさわしい新たな間取りが考案されました。
その代表例が1951年に開発された「51-C型」です。従来の木造家屋のように、部屋と部屋の間は襖(ふすま)で仕切りますが、隣接住戸との間は壁や押し入れで隔て、遮音性を高めて、木造の長屋のように隣の住戸の物音が漏れるのを防ぎました。また、同潤会アパートと違って、台所・食事室と居室が分離され、欧米のように食寝分離が実現されたのが大きな特徴です。
これが、やがてDK(ダイニングキッチン)スタイルとして定着。2DKと呼ばれるようになり、多くの団地で採用されました。
この間取りもトイレはあるものの、やはり風呂は付いていません。当時はまだ銭湯に行くスタイルが当たり前で、内湯は庶民の生活にはほど遠い存在でした。エレベーターも付いていません。そのため、1950年代から60年代にかけて建設された団地の多くでは、近年、エレベーターを後付けしたり、建て替えられたりするケースが相次いでいます。
今から見れば、つつましい間取りですが、それでも住宅難が続いていた1950年代、60年代、こうした団地に住む人たちを「団地族」と呼ばれて憧れの対象でした。
70年代に今につながる3LDKが普及
1970年代になって、分譲マンションが増えてくると、居室を1つ増やし、さらにリビングを付け加えた3LDKスタイルが定着します。
現在では世帯当たりの人員が減って、2020年の国勢調査では、図表1にあるように、平均2.27人に減少、東京都ではついに2人を切っていますが、1970年代は3人を超えており、ファミリー世帯には3つの居室が不可欠でした。夫婦は2人で1室でも、子どもたちには一人ずつ部屋を与えることが普通になり、急速に3LDKが普及しました。
一口に3LDKといっても、さまざまなタイプが開発されました。価格をできるだけ抑えるため、板状の建物をようかんのように戸境壁で分けて、北側に玄関、南側にリビングを設置した北入り玄関の住まいが主流です。
田の字形や横長LD、続き間プランなども
1970年代の3LDKの間取りは、主に縦長で、北側に玄関があって、廊下を挟んで左右に居室、廊下を進むと中ほどにキッチン、バス・トイレなどの水回りがあり、その先にリビング、ダイニングと居室があるといった間取りが平均的なパターンです。
この間取りは、北側に2つの居室、中央に水回り、そして南側にLDと居室が配されて、漢字の「田」の字のように見えるところから、「田の字形」プランと呼ばれています。
その後、同じ3LDKでも、他物件との差別化を図るため、さまざまなタイプが開発され、南側のバルコニー側に横長のLDを設けた「横長LD」、LDKと並んで2つの居室を設けた「続き間プラン」などがあり、現在もこうしたプランをアレンジした間取りがたくさんあります。
1980年代にはプライバシー重視やワイドスパンが人気に
1980年代に入ると、3LDK主体ながら、さまざまな特徴ある間取りタイプが登場します。その一つが、いわゆる「PP分離型」と呼ばれる、住まいの中のパブリックスペースとプライベートスペースを切り分ける間取りプランです。
先に触れたように、多くのマンションは北側に玄関がありますが、このPP分離型では中央に玄関があります。中入り住戸と呼ばれるパターンで、玄関を入ると北側に居室が2つあって、南側にLDKと1つの居室が配置されます。北側がプライベートゾーンで、南側がパブリックゾーンということになります。
家族個々のプライバシーを重視し、それぞれ勉強や趣味などに集中できる間取りですが、逆に言えば、家族のコミュニケーションの阻害要因になる可能性もあります。また、中央に玄関があるので、同じエレベーターを利用できるのは、原則的に1フロア2戸に限られ、プライバシーや防犯面で安心感がある反面、コスト高になるというデメリットもあります。
1980年代後半から90年代にかけてのバブル期には、住戸の間口を広く取るワイドスパンのマンションが登場します。「南面3室」などとも呼ばれ、富裕層向けの日当たりや風通しなどを重視したプランです。現在も、上層階のプレミアム住戸などで採用されることが少なくありません。今も変わらず人気が高く、多くの人が憧れる間取りですが、間口が広くなる分、コストアップ要因となり、価格が高くなります。
1990年代には一時的にワンルームタイプが主流に
1980年代後半から1990年代にかけては、バブル経済の影響から投資用マンションが急増、一時的にワンルームタイプや1Kタイプが主流になりました。
図表2にあるように、1980年代には3LDKと4LDKが大半だったのが、1990年にはワンルームタイプが分譲マンションの6割ほどを占めるように劇的に変化しました。3LDKと4LDKを合わせても2割を切ってしまったのです。
ワンルームブームは一時的なものに終わりました。バブルが崩壊すると、投資用物件は急減し、3LDKが中心の時代に戻ったのです。2000年には3LDKと4LDKの合計が7割を超えました。
しかし、その後は1世帯当たりの世帯人員の減少から、投資用ではなく、単身者や少人数世帯向けの実需としてのワンルーム、1LDK、2LDKなどがジワジワと増加しています。その結果、図表2でもわかるように、最近では3LDKと4LDKの合計は6割を切っています。
コロナ禍に対応した間取りプランも増えている
2000年代に入ってからは、大規模マンションや超高層マンションが増加し、その分、エントランスやキッズルーム、パーティールームなどの共用施設が充実しました。
専有部分の間取りプランという面では、それまでの3LDKプランをアレンジしたものが多くなっています。キッチンは独立型、オープン型、アイランド型などさまざまなタイプが登場し、引き戸や移動式家具などによって簡単に間取りを変更できるタイプも増えています。同じ3LDKとはいいながら、選択肢は増え、自由度が高まっているといっていいでしょう。
2020年以降のコロナ禍では、在宅ワークの増加に伴って、ワークスペースを設けた間取り、またウオークインクローゼットをワークスペースに転用できるプランが出てきています。また、帰宅時にすぐに手洗いできるように玄関脇に手洗い場を設置したり、玄関から洗面所に直行できるプランなども採用されるようになっています。
時代に合わせてさまざまな工夫が行われているわけで、今後もどんな間取りプランが開発されるのか注目されます。