新型コロナウイルス感染症拡大で首都圏などでは緊急事態宣言が出され、私たちは、これまでの生活が制限されるという経験をしました。今までの人生を見つめ直した人や、これからの生活を設計し直した人もいるかもしれません。
リモートワークが一般的になった会社も増えてきて、働き方のスタイルも人それぞれに変わってきているようです。
今回ご紹介するご夫婦は、コロナ禍とは直接関係ありませんが、人生の大きな岐路において、2拠点生活を経て移住という選択をしました。どのようなご事情があったのか、お話をお聞きしました。
【プロフィール】
田村徹さん(仮名):54歳、通販会社勤務
静香さん(仮名):52歳
直感的に2拠点生活を始める
――田村さんご夫妻は、ともに通販会社にお勤めだったんですよね。
(静香さん)
そうですね。主人は通販広告の制作をしていまして、私は商品のマーチャンダイザーをしていました。そこからテレビ通販に移って、通販番組のマーチャンダイザーやプロデューサーとして、商品開発から販売戦略までを一貫して行っていました。
都内にはマンションを購入して、夫婦2人で住んでいました。
仕事はとても忙しかったですね。日本だけでなく、世界中の商品を扱っていたので、通販番組を作るために各国の現地まで頻繁に渡航して撮影もしましたし、とにかく激務でしたが充実した日々でした。
とても忙しく過ごしていて、日々のなかで、ふと仕事に悩むことが多くなっていたときでした。上司から勧められて、休日に湯河原のパワースポットに行ってみたんです。こんな素晴らしいところがあるのか! と思って、翌週末すぐに不動産会社に行きました。
――それは熱海で探したということですね。
(静香さん)
そうです。熱海の不動産会社で物件を探しました。
実は、そのときは2拠点生活についてのプランをほとんど持っていませんでした。衝動的にというか、直感的に2拠点で暮らすことを考えていました。
――ご主人はどのようにおっしゃっていましたか?
(静香さん)
仕事以外の世界を持つこともよいのでは、と賛成してくれました。そして、熱海でここを見つけて2拠点生活が始まったんです。2014年、私が45歳の頃ですね。
週末ごとに夫婦でこちらに来て、日常の忙しさを忘れ、温泉に入ったりゆっくり読書をしたりして過ごしていました。
2拠点生活から熱海への完全移住へ
――2拠点生活は、どのくらいされていたんですか?
(静香さん)
3年弱くらいですかね。熱海に来ることは、夫婦2人の楽しみになっていましたし、仕事も頑張れましたね。でも、そんなとき、以前からあった病気が悪化して、手術をすることになってしまいました。
退院して職場に復帰したのですが、体調が万全でないからか、まったく仕事に対するパワーが湧いてこないんです。結局、仕事は辞めざるを得ないという結論に達しました。
そんな状況で、熱海に行く機会が減ってしまいましたし、2拠点を維持していくのも難しくなってきました。
私が本格的な仕事をしていないので東京にいる意味がなくなってしまったというのもあり、東京のマンションか熱海の部屋か、どちらかを選択しようかと思ったのです。
その頃は「老後2000万円問題」や「オリンピック後不況」などが、声高に騒がれたりもしていましたから、将来のことも考えないといけないなとも思いました。
――結論としては、熱海を選んだわけですね。
(静香さん)
とても悩みました。
東京は日常生活の場でしたが、熱海は非日常の空間です。熱海のほうを手放すのが無難な気もしました。
私は仕事を辞めてしまったのでいいとして、夫は仕事を続けていきますから通勤の問題が出てきます。ただ、勤めている会社は横浜にあって、東京からも熱海からも、実は通勤時間はそれほど変わらないんですね。
最終的な決断は、東京を引き払って熱海に完全に移住するというものでした。
東京のマンションにはローンが残っていましたが、熱海にはローンはなし。東京のマンションを売却すると、ローンを完済したうえで売却益も得られました。これが大きな決め手でした。
非日常から日常へ、熱海の魅力に浸る
――熱海の生活にはすぐになじみましたか?
(静香さん)
いえ、東京との生活の違いに慣れるのは大変でした。
熱海の部屋は山の上にあります。私たちには車がなかったので、山から街まではバスを利用するしかありませんでした。それと、すぐ近くにコンビニがないというのも、実際に生活をしてみるとなかなか不便を感じました。
最初は、週末に来ていたときと違って、生活をなかなか楽しめなかったんですね。それは、非日常だったものが日常に変わってしまったからだと思います。
いつもの生活を取り戻すには半年ほどかかりました。
ただ、振り返ってみると、熱海という「もう1つの選択肢」があったことは、とてもよかったと思います。
私たち夫婦は旅行が趣味で、いろいろなところを旅しました。でも、体調が悪かったり、コロナ禍の影響があったりして旅行はできませんでした。それ以外に趣味を持たなかったので、熱海に移住するという選択があったことで、「次」に進めましたね。
――今は、楽しむ余裕を持てているようですね。
(静香さん)
だいぶ生活のリズムを整えられましたね。
部屋からの景色は、正直に申し上げて「絶景」です。山の上にある部屋ですので、見下ろす形で海を眺められます。
熱海は空気も水もおいしいというのも、こちらに来て感じることですね。これを毎日享受できる環境というのは、本当にぜいたくだなと感じます。
そして、山の中ですから、朝はたくさんの鳥たちのさえずりで目を覚まします。こうして話すと、ちょっとおとぎ話のなかのようですね(笑)
でも、こうした生活は、東京にいてはなかなか送れないと思います。そして、夏は涼しく、冬は暖かいというのも、熱海の山暮らしならではのいいところではないでしょうか。
――部屋はリフォームをされたんですね。
(静香さん)
当初は2拠点目としてですが、将来的には移住も考えていたのでいろいろこだわりました。
浴室の壁に緑色を入れていますが、これは部屋から見える山の緑を表していて、自然と一体となった環境を取り入れています。食器棚や冷蔵庫を扉で隠せるキッチンもお気に入りです。
コンパクトな部屋ではありますが、満足のいく仕上がりで快適に暮らせています。
熱海から次の一歩を踏み出す
――今後はどのように生活していこうとお考えですか?
(静香さん)
実は、在宅ワークで、以前いた通販会社で商品リサーチの仕事をしています。
今後は、これまでの経験をもとに、いろいろな社会的課題を商品の力で解決してくような仕事をしていきたいと考えています。たとえば、女性のキャリアの継続に関することなどです。女性は産休や更年期の問題などで、キャリアを継続させることが難しくなる局面があります。
あるいは、平均寿命と健康寿命のギャップなども、大きな問題になってくるはずです。こうした課題を解決する(できる)商品を、より広く知ってもらえるようにしていきたいですね。
先日、昔のノートに「50歳でセミリタイアする!」なんて目標を書いていたのを発見したんです。今ではセミリタイアはしたいと思っていませんが(笑)、人生の次のステージをスタートできたんじゃないかと思っています。
そう考えると、2拠点目を手に入れておいてよかったなと思います。ローンも抱えていないですし、主人と2人で力を合わせていけば、より自由な生活を送っていけるんじゃないかと思っています。
まとめ
静香さんにとっては、熱海という2拠点目が次のステップへ進む「踊り場」のような役割を果たしたようです。2拠点生活ではなくなりましたが、夫婦の人生の転換点のためには欠かせない存在でした。家庭でも仕事場でもない、いわゆる「サードプレイス」があることは、長い人生においてプラスに働くということかもしれません。