移動を自粛する、それに伴ってリモートワークが普及する。買い物はネット通販を活用する……。新型コロナウイルス感染症拡大が、私たちの働く環境やショッピングの習慣を変えてしまいました。これからは「ニューノーマル」と呼ばれる新たな生活様式になじんでいかなくてはなりません。住居選びの基準も大きく変わっていきそうですが、実はその流れはすでに起きているのです。『国道16号線―「日本」を創った道―』の著者、柳瀬博一さんへの取材を通して、新たな住居選びのスタンダードを考えてみましょう。
有史以前から人が住む国道16号線エリア
新型コロナウイルス感染が拡大することで、過密する都市部から郊外へ移住するブームが訪れるだろう――。そんな予測がある中で、一方では開発が進む湾岸エリアの人気が衰えていないというレポートもあります。
そんな中、国道16号線沿いの街が人気になっているといいます。
国道16号線は、東京の中心部を遠巻きにしてぐるりとまわる環状道路です。神奈川の横浜市に始まり、東京、埼玉を巡って千葉の房総半島を経て、フェリーを使って東京湾を渡れば完全な環状線となり、4都県27市町をつないで実延長326.2kmとなります。
『国道16号線―「日本」を創った道―』の著者である柳瀬博一さんは、「16号線エリア」は古代から人々が生活を営んできたといいます。「16号線エリア」というのは、国道16号線が通る地域を指します。
なぜ16号線が日本を「創った」といえるのか、柳瀬さんに聞きました。
柳瀬博一(以後、柳瀬)
「16号線」が国道となったのは1963年ですが、16号線沿いには多くの貝塚が見つかっていて、古墳もたくさん作られています。近現代に幹線道路として整備される以前から、16号線エリアには人が多く居住していたという証拠です。
ーー古くから人々が住みついていたというのは、なぜなのでしょうか?
柳瀬
16号線エリアの多くに、山と湿地と水辺がセットになった「小流域」地形が連なっているのが理由の1つです。
「小流域」は、古代の人たちが住むのに適した地形でした。水源ではきれいな水が得られます。湿地(浅い水辺)では貝や魚といった食料を捕ることができ、扇状地は棚田になり、山(台地)は見晴らしがよく、外敵から身を守りながら住居を構えられました。
大河川や海ともつながるので、船を使っての経済活動が可能です。また、三浦半島や房総半島はリアス式海岸のため、貿易港や軍港としても活用されました。
16号線エリアには、ぐるりと囲むように多くの台地と大河川が存在します。
この地形が武士階級の台頭を促しました。広大な平地があって、水が豊富なことで馬や牛を育てる「牧(まき)」に向いていたので、いち早く馬を育てる文化が根付き、数多くの武士団が育ちました。その結果、16号線エリアの鎌倉に最初の武士政権が成立したわけです。その後、室町時代から戦国時代にかけて、16号線エリアには武将たちがたくさんの城を築きました。
幕末から明治・大正・昭和にかけて、最重要の輸出産品は生糸でしたが、「日本のシルクロード」と呼ばれるほど、16号線は生糸や絹織物の流通路として栄えます。
武士団を育てた台地は、戦中は日本軍の飛行場が設置され、戦後はアメリカ軍基地となります。
16号線エリアは日本の歴史において重要な役割を果たし、、常に多くの人が暮らす土地だったのです。
「郊外」とはいったいどんなところなのか?
現在の16号線エリアは、都心から30〜40km離れていることで「東京の郊外」とされています。
しかし、ひとくちに「郊外」といっても、その定義はあいまいです。
辞書を引いてみると「都市に隣接した地域。市街地周辺の田園地帯」とされていますが、都市部からどこまで行ったら「郊外」なのか、どんな条件が揃ったら「郊外」なのかは決まっていないのです。
では、16号エリアの市の人口と、地方の中心都市の人口を比べてみましょう。
こうして人口を比較してみると、16号エリアの街がもし日本の他の地方にあった場合には、立派な「中心都市」のレベルだといえます。
「郊外」と呼ばれるのは、あくまで東京の中心部に対しての「郊外」なのです。
鉄道が作った東京、そしてモータリゼーション
ある意味、「東京」というのはあらゆるものが“密”になっている「特殊な都市」だといえるのかもしれません。その成り立ちについて、柳瀬さんはこう話します。
柳瀬
東京は、鉄道の力で成長してきた都市といえます。
それは、ターミナル駅から郊外へ、鉄道が通る沿線の土地を開発してきたからです。渋谷からは東急東横線・東急田園都市線、新宿からは小田急線・京王線・西武新宿線、池袋からは西武池袋線・東武東上線などが放射状に鉄道を敷設して、その沿線を宅地として開発しました。
ターミナルには百貨店やオフィスビルが設けられ、終点や途中駅には遊園地などの施設を作って、沿線の住民は鉄道を使いながらオンもオフも暮らすスタイルです。ちなみに、この遊園地などが作られたエリアこそが16号線と重なっているのです。
東京には、もちろん国鉄(現・JR)もあり、さらには都市部には網の目のように地下鉄も張り巡らされており、鉄道とバスを使えば行けないところはないほどに、公共交通機関が発達しました。東京23区から16号線の内側にかけては、自動車を所有しなくても便利に暮らせるようになりました。
一方で、モータリゼーションで発展してきたのが「郊外」です。
1996〜97年頃に、世帯あたりの自家用車の所有台数が1台を超えてきます(自動車検査登録情報協会調べ)。このあたりが、本格的なモータリゼーションの始まりといえるでしょう。ピークは2000年頃です。
16号線エリアは、このモータリゼーションの発展と深い関わりがあります。
柳瀬
1991年にアメリカから上陸したのが、玩具量販店「トイザらス」でした。その単独店舗第1号は、相模原市古淵の16号線沿いにオープンしています。その後も、トイザらスは16号線沿いに店舗を増やしていきました。
コストコやIKEAといった海外からやってきたディスカウントストアも、16号線を中心とした出店を展開しています。それらの店舗は、車で来店することを想定していて、大規模な駐車場を備えています。
相模原市古淵には、1993年にイトーヨーカドーとジャスコ(現イオン)が同時にオープンしています。この時期はすでにバブルが崩壊して、就職氷河期が訪れようとしたころです。共倒れを心配する声もあったようですが、現在まで営業を続け、周辺にはMEGAドン・キホーテ、島忠ホームズなどもでき、賑わいを見せています。
デパートの営業的な苦戦が続いています。その一方で、ショッピングモールやディスカウント系ストアの人気は上昇しています。流通・小売という面では、ターミナルの百貨店が衰退し、郊外型のモールが発展していることは明確になっています。それは、多くの人の消費行動が変わってきた結果だともいえます。
「郊外ブーム」の真実
では、「郊外ブーム」というのは実際に起っていることなのでしょうか?
LIFULL HOME’Sが2021年2月に発表した「コロナ禍での買って住みたい街ランキング(首都圏版)」によると、「賃貸」に関しては郊外の人気が高まっていますが、「購入」についてはまだまだ都心の人気が強いという結果が出ています。
「コロナ禍はいずれ落ち着くだろうから」という理由で、相変わらず、価値の高い都心の物件の人気が続いているという分析がなされています。
一方で総務省が発表している「人口移動報告」の年齢別転入超過数で見ると、また違った傾向が見えてきます。
コロナ禍以前2019年の調査になりますが、『首都圏「0~14歳の転入超過数」トップ10』のほとんどが「郊外」といわれる地域です。ワースト10を見てみると、東京23区が6つも入っています。
子育て世帯に関していえば、「郊外ブーム」と感じられそうな状況です。そして、注目したいのが、「国道16号線エリア」の人気が極めて高いということです。
通勤という縛りから開放されれば、住居選びの基準は変わってきます。子育てやオフタイムの過ごし方を重視して、住む場所を選ぶことができるようになってきます。
柳瀬
都心から放射線状に延びる鉄道と、環状線として機能する幹線道路の両方を利用できるのが「16号線エリア」なのです。つまり、鉄道を使った都市型生活と、自動車を利用した郊外型生活を同時に楽しめる。それが、人気の理由ではないでしょうか?
教育環境も充実しています。16号線エリアには100を超える大学のキャンパスがあります。横浜、さいたま、千葉といった肩峰所在地、相模原、八王子、町田、柏といった人口数十万規模の都市が多数あり、学習塾なども充実しています。
さらに海や山、川などの自然が近くにあり、アミューズメント施設も多いため、休日にはアウトドアやスポーツを気軽に楽しめます。大人が趣味を満喫することもできるし、子供たちも自然に触れて成長できます。ショッピングモールに行けば、買い物をして食事をして、1日を家族で楽しめます。
子育てには理想的な環境だということで、積極的に16号エリアを選ぶ世代がいるわけです。通勤に関しても、16号線エリアは「逆ターミナル」となっていて、始発から座って乗車して都心に向かうことができるというのも魅力だという人もいますね。
これまで、本当の意味での「ワーク・ライフバランス」を取ることは難しいこととされてきました。
どうしても「ワーク」にばかり偏ってしまっていましたが、リモートワークなどの普及で多様な働き方ができるようになり、「どこに住むか」の基準も変わって「ライフ」にも重点を置けるようなってきました。
そんな中、自然と都会が絶妙なバランスで両立している「16号線エリア」が人気になっています。今後も、「どのように働き、どのように生活していくか」が、住居選びの基準を作っていくようになるでしょう。
お話しいただいた人
柳瀬博一さん東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授(メディア論
1964年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社し「日経ビジネス」記者を経て単行本の編集に従事。2018年3月、日経BP社を退社、同4月より現職に。