このところ、「コロナ禍で急拡大したリモートワークにより移住者が増加」という話題を頻繁に目にします。一方で、『リモートワークが流行ったぐらいで郊外に引っ越してはいけない』(日経ビジネス 2020年12月1日配信)という記事や、都心の不動産市場が活況というニュースを耳にすることもあります。実際のところはどうなっているのでしょうか。
今回は、移住に関する意識調査や、首都圏近郊の「トカイナカ」で始まっている私設移住者支援活動をご紹介します。
移住希望者の多くは20~40代
2002年に設立された「ふるさと回帰支援センター」によると、2000年代の移住者は定年後の中高年が中心。それが、2008年のリーマンショックをきっかけに若者の移住志向が高まり比率が逆転。現在は、移住希望者の70%以上が20~40代だといいます。
また、不動産検索サイト、ライフルホームズが行った緊急調査『コロナ禍での借りて住みたい街ランキング(1都9県版)』(2020年9月8日公開)によると、
1位 水戸
2位 本厚木
3位 宇都宮
と、都心から離れた郊外の街が並び、首都圏版で4連続トップだった池袋は9位に陥落。
一方、『コロナ禍での買って住みたい街ランキング(1都9県版)』では、
1位 熱海
2位 勝どき
3位 三鷹
と、1位こそ近年人気回復が話題となっている熱海が選ばれましたが、白金高輪や目黒、中目黒などもトップテン入りしています。つまり、購入を考えている人には依然として都心の人気が高く、賃貸ユーザーの間で郊外志向が高まっているようなのです。
実際に首都圏近郊の不動産会社に問い合わせると、2020年に入ってから移住相談が激増しているといいます。
三浦市三崎から始まった、勝手に移住支援! 「MISAKI STAYLE」
MISAKI STAYLE(みさき すている)の「STAYLE」とは、「Stay=滞在する」と「Style=様式、~流」という意味の言葉を掛け合わせた造語。2015年、地元出身の菊地未来さんが三崎活性化を目指す『MISAKI STAYLE構想』を発表。それに賛同したメンバーが、行政の協力を仰ぐことなく勝手に始めた私設移住者支援活動です。
しかし、心意気はあるもののメンバーに不動産の専門家がいなかったため、実際に移住者に定住してもらうところまでの道筋がつくれずにいました。そこに2017年、不動産業を営む岩野孝一さんがメンバーに加わったことで本格的に動き出したのです。
三崎で生まれ育った岩野さんは、漁師から不動産業に転身した異色の経歴の持ち主。横浜や横須賀の不動産会社で修業を積み、2017年、生まれ育った三浦で独立開業します。
「最初の事務所は三崎口駅近くの高台。開業当日に、顔見知りの塗装屋さんがやってきて、MISAKI STAYLEのことを教えてくれたのです。で、『興味はないか?』と。僕は不動産業者だけど、古い家をどんどん壊して新しい家を建てることで稼ぎたいとは思っていなかった。むしろ三浦の古い建物を守りながら活用していくために戻ってきて独立したわけで、二つ返事で引き受けました」(岩野さん)
岩野さんが加わったことで、MISAKI STAYLEを相談窓口に、賃貸契約や売買契約の成約まで持っていけるようになりました。ただ、当初は拠点がなかったため古道具ROJIの店内に相談所を設けることにしたそうです。
古道具屋で「私設移住相談所」を開設!
「市役所にも移住相談窓口はありますが、土日はやってない。でも観光客も移住希望者も来るのは基本的に土日ですよね。だから、自分たちで勝手にやるしかない、と」(岩野さん)
――コロナ禍で移住相談は増えましたか?
「ネットからMISAKI STAYLEやいわの不動産に直接相談できるような仕組みが整ったので、ここにフラッと相談に来る人は減りました。それでも、去年と比べると相談件数はかなり増えています。ただ、僕らは支援金や助成金目当ての人は歓迎していないので、お断りする場合もあります」(古道具ROJI店主、安原芳宣さん)
移住者支援制度がないからこそ、本気の移住者がやってくる!
移住サイトをチェックしたことがある人が、「三浦市移住ポータルサイト」を覗いたらちょっとビックリすると思います。トップページに堂々と「市民による移住支援」が掲載されているからです。1都6県のサイトを見渡しても、こんな自治体はほかにありません。
「三浦市には、移住支援金100万円とかリフォーム費用の助成といった移住者支援制度がほぼありません。だからこそ本気で移住を考えている人が相談にやってくるのだと思います。行政の支援金や助成金は、いわばオマケ。それを目当てに移住してくる人は地域には根付かない。ほとぼりが冷めると、また違う場所に移住してしまいますから」(岩野さん)
現在、MISAKI STAYLEの拠点となっているのは、三崎港近くの「あるべ」です。
「築50~60年の建物をリフォームして使っています。『あるべ』というのは、お試し基地『トライアルベース』という言葉と、三崎弁の『そこにあるよね』という意味の『あるべ』を掛けたネーミングです。ここを拠点に、朝めしのお店とトライアルベースを運営しながら、三崎の情報発信や移住相談に対応しています」(岩野さん)
移住の成否を決めるのは「入口」
――移住者とのコミュニケーションはどうしていますか?
昨年は、移住者交流会を開催しましたが、今年はコロナの影響で中止にせざるを得なかった。でも、実は少人数での飲み会をたまにやっています。メンバーはそのときどきで違いますが、基本的に移住者だけではなく地元の人とごちゃ混ぜ。そうすれば、移住者と地元の人間が自然と顔見知りになれますからね。
――最初に挨拶しておいた方がいい人を紹介するということですね。
実は、移住は入り口が非常に大事なのです。
外から来た人は誰と最初に仲良くなればいいのか分からないまま、気づかないうちに地元の人の反感を買うようなことをやってしまうことがある。そうすると、誰にも口をきいてもらえなくなって孤立してしまいます。
実際にネット検索すると、「地元になじめなくて失敗した」とか「移住なんてするものじゃない」というネガティブな情報も出てきますよね。それは、その土地と移住者の相性が悪かったというより、入り口を間違えたからじゃないかなぁ、と僕は思っているのです。
どこの地域でも、その土地独特のローカルルールや人付き合いの濃淡がありますから、物件や周辺環境だけを見て移住先を決めても上手くいくはずがない。けれど、一般的な不動産業者は土地柄について詳しくありませんし、自治体は立場上、ざっくばらんに地域の特色を説明することはできません。
その点、地元出身者と移住者が混在しているMISAKI STAYLEの場合、漁師さんが多い地域、サラリーマンやファミリーが多い地域、移住者が多い地域、さらに人間関係がドライか濃厚かなど、それぞれのエリアの特色を把握していますから、移住者に合うエリアの物件を紹介することができます。
しかも、各エリアに知り合いがいますから、誰と最初に仲良くなった方がいいか、ということまでお伝えできますからね」(岩野さん)
空き家レスキュー、Stayleでつながる移住者支援の輪
いわの不動産の現在の事務所は、三崎港にほど近い木造石造りの蔵をリノベーションした建物。もともと、開業して最初に持ち込まれた空き家物件だったとか。梁や柱がしっかりとした築80年にもなる建物を、放置したり解体するわけにはいかないと思い定めた岩野さんは、蔵を買い取ります。
そして、大量の荷物を捨て屋根を補修し外壁を修繕してもらうだけでなく、自力で内壁をリフォーム。さらに、独自のアイデアで、設置不可能だと思われていた水洗トイレを2階につくってしまったのです。
「誰もやらなかった方法でトイレを設置すればいいじゃん、と神さまがささやいたんです(笑)。業者には、ものすごく嫌がられましたけどね。気づいたら、自ら困った空き家を活用していた。この体験が、空き家レスキューを始めるきっかけとなったのです」(岩野さん)
「実は、コロナ禍で空き家物件への問い合わせが5倍くらいに増えたのですが、物件数が追いついていない。空き家レスキューは、空き家の提供数を増やしたくてやり始めた側面もあります。空き家の持主は高齢で、片づけられないしお金もかけたくないから放置する。そうすると荷物が残ったまま建物がどんどん傷んでいく。それを、僕らが荷物の片づけや簡単な改修を手伝うことで、活用できる空き家に生まれ変わらせようと思っているわけです」(岩野さん)
アイデアマンの岩野さんには、誰もが不可能だと思い込んでいる空き家物件を生かす奇策が次々と浮かんでくるようです。さらに、MISAKI STAYLEの熱気は箱根や熱海まで伝播して、Hakone StayleやAtami Stayleも誕生しています。
「僕らのスタンスは、街の活性化のために移住者を無理に街のテイストに当てはめない、というものです。どんなに海と街の雰囲気が好きでも、濃厚な人間関係に不向きな人が三崎の下町に住むのは難しい。僕らは、単に移住者を増やして利益を上げたりコミュニティを広げたりしたいわけではなく、土地柄と移住者のミスマッチが起きないよう、移住に迷っている人たちの道しるべになりたいと思っているのです」(岩野さん)
移住はご縁とタイミング。イベント参加を重ねることで地元になじむ
最後に、東京から三崎に移住して9年になる姉妹、QK-unit の小木久美子さんと砂山恵美子さんに移住について伺いました。小木さんはデザイナーでアーティスト、砂山さんはイラストレーターで絵本作家でもあります。
「私たちが三崎に移住したのは、2011年4月11日。ほんとうは3月11日に引っ越す予定だったのですが、事情があって後ろ倒しにする羽目になったのです。結果的にはそれでよかった。3.11当日に引っ越ししていたら、どうなっていたことやら」(小木さん)
「はじめはこんなに遠くに住むつもりはありませんでした。ただ私たちの経済力では都心から離れざるを得なかった。でも、期せずして故郷の雰囲気にどこか似た雰囲気の土地に移住することになったわけですから、不思議なご縁です」(砂山さん)
2人は三崎のイベントのポスターや案内地図を手がけています。どうやって、移住した土地に仕事の依頼がくるほどなじんだのでしょうか。
「実は、地元の仕事を依頼されるようになったのは、三崎に移り住んで3~4年してからなんです。最初はどんどん貧乏になっていって、『いいのか、これで!』という気持ちになったくらい。妹は一時期、食品工場でバイトしていたこともあるし…、紆余曲折を経て今があるのです(笑)」(小木さん)
「物販を行うお祭りや地元のイベントに参加するうちに、少しずつ顔見知りが増えていった感じかな。港町で外からいろいろな人がやってくる土地柄のせいか、三崎は移住者への間口が広い気がします」(砂山さん)
まとめ
移住すれば理想の生活がすぐに実現する…、わけではないことが取材を通してよくわかりました。それでも、移住者を支援したいという人々が増えているのは確実です。
移住に興味がある人、迷っている人は、一度相談してみてください。