前回注目を集めた神奈川県の難読地名クイズに続き、今回は中級編をお届けします。知っているようで意外と知らない地名、あなたはいくつ読めますか? 地名の由来やその背景にある歴史を知ることで、自分たちが住む町の新たな一面が見つけられるかもしれません。
横浜や箱根、湘南など人気の観光地が目白押しの神奈川県。商業施設も充実していますが、海や山などの豊かな自然も満喫できるため、住環境の良さには定評があります。都会的なイメージがある県ですが、かつては鎌倉に幕府が置かれるなど、古い歴史も持っています。そんな神奈川の難読地名を5つ紹介します。
鵠沼(藤沢市)
藤沢市の南部中央に位置する地域で、昭和初期に小田急電鉄江ノ島線が開通するとともに住宅地化が進みました。
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↓その答えは?
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読み「くげぬま」
鵠沼は明治時代中期に別荘地として開発されたエリアです。特に東屋という旅館は谷崎潤一郎や志賀直哉、芥川龍之介など名だたる文豪が逗留し、執筆活動を行った宿として有名。大正時代に入り、関東大震災に直面しましたが、その再建をきっかけとして鵠沼は高級住宅街に生まれ変わりました。
地名にある「鵠(くぐい)」とは白鳥の古名で、湿地帯が多かったこの地に多くの白鳥が飛来したことが由来とされています。なお「鵠」の左側は「告」ではありませんので、書くときは注意が必要です。
イチ押しの観光スポットは何といっても鵠沼海岸。こちらも別荘地の開発同様、明治時代半ばに整備されました。ただ当時は男女の混泳が禁止されていたようです。現在でもビーチリゾートとして人気が高いエリアで、鵠沼海岸から茅ヶ崎市一帯、また湘南海岸などは日本のサーフィンの発祥地ともいわれています。
鵠沼駅周辺にはキンモクセイを植えている住宅が多く、秋の時期になると甘い香りが漂い、その芳香の良さから環境省の「かおり風景100選」にも選ばれました。温暖で風光明媚な鵠沼は景色だけでなく、香りも楽しめるエリアのようです。
国府津(小田原市)
国府津は県南西部、小田原市東部に位置し、海を見下ろす丘陵地にあります。JR東海道線の行先として「国府津」の文字を見たことがある人もいるのではないでしょうか。地名を見ると何やら国家との関わりがありそうな気がしますが…。
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↓その答えは?
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読み「こうづ」
国府津の地名の歴史は古く奈良・平安時代にまでさかのぼります。当時、各地には国の行政官である国司が中央から派遣されましたが、彼らが政務を執る施設は「国府」と呼ばれました。当然、神奈川(相模)にも国府が設置されて、その外港(津)が当地に築かれたために「国府津」の名が付けられたと伝わります(諸説あり)。かつては「こくふづ」と読まれていたようですが、「こうふづ」「こうづ」と転じていったと考えられています。ちなみに国府津駅のアルファベット表記は、なぜか「Kōzu」となっています。
現在、国府津はさほど都会的なエリアではありませんが、かつては鉄道の拠点として栄えた過去があります。
東海道本線は1880年代、現在のJR御殿場線のルートを採用していため、その起点となる国府津駅は箱根や熱海方面の玄関口となりました。そのため大勢の人々が足を運び、駅周辺にも多くの旅館が立ち並んだといわれています。
東海道本線で初めて駅弁が販売されたのも国府津駅の構内であったとされていますから、どれほどのにぎわいであったかがうかがえるでしょう。ちなみに当初の駅弁は「握り飯にたくあん」という素朴なものであったようです。
文人や財界人の保養地としても栄えたエリアでしたが、1934年に熱海〜函南間を結ぶ丹那トンネルが開通し、速達性の高い新ルートが誕生すると次第に客足も遠のいていきました。
人の流れは変わったものの、当エリアが自然景観に恵まれた地域であることには変わりありません。相模湾に面した国府津は駅から海を間近に望むことができ、駅の裏山の斜面にはミカン栽培がされている様子を見ることもできます。
日限山(横浜市港南区)
日限山は港南区の西に位置し、1980年に新設された街です。丘陵地帯にあり京急ニュータウンなどの新興住宅地として開発されました。
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読み「ひぎりやま」
こちらは地区の福徳院に祀られている秘仏、日限地蔵にちなんで付けられた地名とされます。日限地蔵とは日本各地の寺院で見られ、「日を限って祈願すると願いが叶う」と言われる地蔵菩薩のことです。
当地区の日限地蔵には以下のような逸話が伝えられています。
昔、ある農民が癪(急な腹痛)に苦しんでいたところ、偶然通りかかった旅の僧に「伊豆三島(静岡県)の蓮馨寺に祀られた日限地蔵尊を信仰すれば病は治まるでしょう」と教えられました。そして、これを信じ一心に祈願したところ男は健康を取り戻すことができたと伝えられています。
そしてこの功徳を広めようと、蓮馨寺から高さ2尺4寸(約72センチメートル)の地蔵尊の分身が勧請され、それが同地区の日限地蔵尊として奉られたというのです。地蔵のある福徳院は1866年に開創された真言宗の寺院で、当時は「横浜の高野山」と呼ばれるほど山深い場所にあった寺でした。
現在、周囲は宅地化されましたが、毎月「4」の付く日が縁日で、この日に祈願すれば願いが成就するといわれ、信仰を集めています。特に新年の1月4日は初縁日として、市の内外から多くの人が参拝に訪れ、大きなにぎわいを見せます。
基本的に地名はそのエリアの地形や歴史などに由来するケースが多いですが、日限山に関しては県外にルーツがあります。その意味ではめずらしいタイプの地名と言えるでしょう。
大豆戸町(横浜市港北区)
大豆戸町は横浜市の中でいち早く市街化が始まった港北区にある町です。
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読み「まめどちょう」
「“大”はどこへ行った?」そんな声が聞こえてきそうです。諸説ありますが、大豆戸はもともと「真間処(ままど)」と呼ばれていたのではないかと考えられています。「真間」とは「くぼ地」のことです。「処」には“お食事処”のように場所を示す意味があることから、地形から付けられた地名ではないかと推測されます。そして後に「まめど」に転じ、この「まめ」が大豆を連想させることから「大豆戸」という表記になったというのです。
大豆と書いて「まめ」と読むのはこのエリアだけでなく、青森県に大豆田(まめだ)、長野県にも大豆島(まめじま)という地域があるので、超難読レベルの地名でもないようです。また大豆戸町は同じ港北区にある熊野師岡神社に大豆を奉納していたと言われているので、その歴史も地名に反映された可能性もあるでしょう。
港北区は東海道新幹線やJR横浜線、東急東横線など6路線が乗り入れているので、都心へのアクセス面は良好。路線バスの数も充実しているため区内の移動も困ることはありません。中でも大豆戸町には区役所や警察署、年金事務所、税務署などの公共施設が集まっているので利便性の高いエリアと言えるでしょう。
寄(足柄上郡松田町)
寄は県西部の足柄上郡松田町に位置するエリアです。寄のある足柄上郡は、明治時代に養蚕業が盛んな地域で農家の約8割が行っていたと言われます。さて一文字の地名「寄」ですが、一体何と読むのでしょうか。
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↓その答えは?
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読み「やどりき」
地名は諸説ありますが、1875年に7村が合併した際に、村同士が寄り合ったさまをほかの木に寄生して生長する「寄生木(やどりぎ)」になぞらえ、そこから「寄」の1字をとったもの、といわれています。
寄のある松田町は、北は西丹沢山系がそびえ、南は酒匂川流域が広がる足柄平野の中心に位置します。町によると「首都圏から1番近い自然郷」ということです。松田町には多くの人がハイキングに訪れますが、特に人気があるのが寄のシダンゴ山(標高758メートル)のハイキングコース。シダンゴ山とはこれまた気になる山名ですが、飛鳥時代にこの地に仏教を伝えた仙人の名がシダゴンで、これが転じたとする伝承が残されています。
寄の観光ポイントの1つがロウバイ園です。ロウバイとは中国原産の落葉樹で、冬になるとその名の通り、ロウ細工のような黄色い花を咲かせます。花は甘く気品に満ちた香りを漂わせ、その香しさは英語で「Wintersweet(冬の甘い香り)」と称されるほど。ロウバイ園では実に2万本もの木々が植えられ、黄色い花が一斉に咲き誇る光景は圧巻の一言に尽きます。
また、松田町では「サクラマスの燻製」がふるさと納税の返礼品となっていますが、使用されるのは寄の清流で育てられたサクラマスです。ほどよく脂が乗った身は一度食べたらやみつきになると評判で、自然豊かな寄ならではの逸品と言えるでしょう。
神奈川県の難読地名クイズ中級編、いかがでしたか。次回、上級編もお楽しみに!