やがて待望の第一子となる香奈が生まれた。2DKでは少し狭さを感じるようになったが、彼女が三歳になるまではそこで過ごした。
電車の音がひどいアパートの両隣は、耳の遠い老夫婦とフォークソング好きの若者だった。老夫婦が大音量でテレビを観ようが、若者がアコースティックギターをかき鳴らし青春を歌にしようが電車の音が消してくれる。ある意味で騒音に対して寛容な住人達は、子どもの夜泣きさえも「お互い様ですよ」と快く受け入れてくれたのだ。
気が付くとどうやら、うたた寝をしていたようだった。随分と眠ったような気がしたが、腕時計の針はまだ二時を指したところだった。
「父さん、これ誕生日プレゼント。母さんと買った」
抑揚のない棒読みのセリフだったことをはっきりと覚えている。
中一になる思春期の娘が照れ臭そうに、しかし表情を変えることなく差し出した青い袋に入った誕生日プレゼント。
「腕時計じゃないかぁ、ありがとうな」
「香奈が選んだのよ、それ」
「違う! 母さんが良いって言うから」
私にとって、どんな一流ブランドのものよりも大切な腕時計となった。
あれから二十八年。大切に使ってきた時計は、今も確実にそして無情に時を刻んでいる。
今回が私にとって最後の『新しい生活』だろう。一人暮らし、結婚、マイホーム……これまでの希望に満ち溢れたものとは違う。数十年振りの故郷で、いかにして老後の暮らしを送るか考えて生きていかなければならない。
私は強く首を振り頭の中に湧き上がる負の思考を振り払った。家にいると余計なことを考えてしまう。立ち上がって腰を伸ばすと、少し外に出て散歩をすることにした。
この辺りは私の小学校区だ。アパートはマラソン大会で走ったコースのすぐ近くである。田畑の向こうには母校の校舎がよく見える。
麗かな日和、小学校までの散歩はちょうど良い距離だった。下肢に滞った血液が地面を踏みしめる反動で全身を巡るのが感じられる。
綺麗な花が咲く校庭の花壇。
「デイジーか……」
私は無意識にそう呟くと、花壇の縁石に腰を下ろし校庭を眺めた。今となっては小さく思えるこの校庭が、少年時代の私には大きな世界だった。
「俺は絶対プロ野球選手になってジャイアンツの四番を打つから」
「じゃ、俺はタイガースのエースになるから対決しような」
あの頃の私達は、願うことでどんな夢も叶うと信じて疑わなかった。頭の中に思い描く将来の私は、満員の観客に埋め尽くされたスタジアムで大歓声を浴びていた。その光景は鮮やかな色彩を帯び、まるで想像の世界とは思えぬような現実味のあるものだった。
あの頃の私が、今の私を見たらどう思うだろうか。彼の思い描く姿とは随分と違うはず。私はどうだろう。あの頃の私に会ったならば……まずは深く頭を下げてしまいそうだ……
「藤井は考えることがおもしろいよなぁ」
そんな友人の一言をきっかけに、中学生になると夢は小説家へと変わった。自分の想像力、発想力を信じて疑わなかったが、所詮そんなものは人並みで、そもそもそれを表現する文才さえ持ち合わせていなかった。年齢を積み重ね、成長するに伴い、私の夢は才能や能力といったものと歩調を合わせ現実的に思い描かれるようになった。
高校に入る頃には夢がカメラマンになったのは父の影響だった。写真好きだった父から譲り受けた一眼レフカメラを手に、列車や風景の写真を撮りに各地を巡ったものだ。
作品は様々なコンクールに応募した。自治体が開催する小さなコンクールでは佳作に選ばれ、賞品として特産品の手毬をもらったことはあったが、それ以外はせいぜい一次審査を通過する程度だった。