「夫だからね。いつも側にいるんだから気づいたんだ。結婚記念日に伝えたいんだろうなって感じていたんだ。だから僕はそんな美幸を驚かせようと思って、気づかないふりをして、こうやってベビーベッドを用意したわけなんだ」
「ベビーベッドだなんて、すいぶん早いのね。まだ生まれてもいないのに」
美幸はうれしそうな笑顔を浮かべながら言った。
「子供が生まれるんだ。書斎なんていらない。それよりも必要なのは子供部屋だよ」
「子供部屋だって、子供が大きくなるまで必要ないわよ」
「そうか、でも書斎よりは先に必要になるだろう」
「そうね、それはそうよね」
美幸は太一の隣にならぶと目をほそめてベビーベッドをみつめた。まだなにも飾りのないベッドだったが、可愛らしいタオルや縫いぐるみ、玩具などで飾られたベッドが美幸の脳裏に浮かんできた。小さな赤ん坊がベッドのうえで笑っている。紅葉のような手で美幸の指をつかんでいる。そんな姿が浮かんできて、なぜだか涙が流れてきた。
美幸は涙を拭うと「ありがとう」と太一に言った。太一は涙を堪えるように上を向くと美幸の手をきつく握りしめた。
それを見ていた千鶴はひとつおおきく咳をした。
「あらあら、いつの間にかめでたしめでたしね。まあ、よかったじゃないの。仲良し夫婦に元通り、おまけに新しい命まで授かっちゃって、うらやましいったらありゃしないわ」
千鶴は半ばおどけたように言うと手を振りながら帰っていった。
美幸は太一と二人きりになるのが急に恥ずかしくなって「ちょっと納豆を買いにいってくるね」と言いながら、千鶴のあとを追いかけていった。
「走るんじゃないぞ。ころばないようにな」
太一はいそぎ足の美幸の背中にむかって声をかけながら、ベビーベッドの柱をなでていた。
窓からは春のやわらなか夕日が部屋の奥のほうまで差しこんでいた。
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