その日、ベッドから身を起こしたわたしは息子に尋ねた。
「学校に行く前でいいの?」
「いい。朝がいい」と息子は言った。「七時くらいだったから、それくらいがいい」
わたしはさらに驚かされた。トルくんに餌を与えていた時間(さらにそれは、死んでしまったトルくんを発見した時間でもある)を、正確に覚えているのだ。
「よし」とわたしは言って、息子の頬を両手で軽く叩くようにして触れた。「じゃあ、早めに学校に行く準備しちゃいな。ごはんは後回しにしよう。いつでも食べられるようにしとくから、ね」
息子は素直にうなずいて、駆け足で部屋を出ていった。わたしはやれやれと思いながら立ち上がったが、机に乗っているスマートフォンが視界にはいったので、そちらに向かって電源をつけた。
メッセージが一通。あの人は今でも毎日、単身赴任先からの連絡を怠らない。
毎日続けるべき、続けなければいけない、という種類の想いがある。けど逆に、こちらが忘れていたころにいきなり突き出される想いもあるんだ。そんなふうにわたしは思って、スマートフォンを持つ手に力を込めた。
わたしと息子は七時少し前に庭に出て、トルくんの墓標である岩の前でしゃがんだ。
岩は水槽の中にあったときと同じ形状をしているが、わずかに苔が生えている。雑草も伸びてきていて、こげ茶色ばかりだった庭にも緑が混ざっていて、岩はもう庭の色に紛れ込んでしまっている。
わたしはとりあえず手でも合わそうと思っていたが、そうする直前、息子がポケットからなにかを取り出して、掘りもしない土の上に勢いよく置いた。それはずんという鈍い音をたてて、ほんの少しだけ土を掘り下げた。わたしは思わず「うわっ」と声をあげたが、息子はわたしにかまわず、それで土をたたきながら首をかしげていた。
「え、なにそれ?」と聞きながら、わたしは息子の手元を覗き見た。それは黄色いキャップと、緑色をした側面をしている小さなボトル型容器で、ずいぶん前に見た覚えのあるものだった。
「餌の入れ物?」とわたしは聞いた。
息子は「うん」とか細い声で言った。
わたしはあらためて、土にたたかれ続けるその容器を眺めた。明るい灰色をした小さなスティック状の餌がたくさん入っていたその容器は、たしかに息子が自分の部屋で保管していたものだ。はじめは水槽の近くに置いていたのだが、その中に餌が入っていると覚えたトルくんが、ごはんの時間近くになると容器がある側の水槽の壁に体当たりをはじめるので、遠ざけておくことになったのだ。そういえばわたしも、息子がいない時間に餌をやるときは、息子の部屋に入って容器を持ってきていたはずだ。
わたしはそれを、水槽や下敷きの砂利などと一緒に処分した気になっていたが、どうやら息子が大切に保管していたらしい。
「これ、中身はどうしたの?」とわたしは聞いた。
息子は顔を上げず、唇をちょっと突き出しながら、たたくのをやめて土の上に置いた容器の下あたりを指さした。
「まだ中に入ってるんだ」
「違う」と、息子は不機嫌そうな声で言った。「あげたんだよ」
「あげた?」
息子はわたしの肘をちょっとたたいて、声を高めた。
「トルくん、おなか空くと思って、あげたんだ」
わたしは目をぱちくりさせながら、また容器のところを見る。それからようやく納得した。
年の暮れから年初めごろ、息子はよくここに座り込んでいた。わたしはそれを、ただ座り込んでいるだけだと思って見ていたのだが、どうやら違っていたらしい。この子は、要は、お供えをしていたのだ。トルくんが食べるはずだった栄養を、トルくんが食べていたはずの時間にあげて、本人にその気はなくとも、供養してあげていたのだ。