【ARUHIアワード12月期優秀作品】『ありがとう』九

アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集する「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた優秀作品をそれぞれ全文公開します。

 あれは、私が小学四年生の時だ。
 しとしとと降る雨の中、黄色い傘をさした私は駆け足で自宅へ向かっていた。背中に背負っているランドセルを置いて、友達のトモちゃん家に向かうために急いでいたのだ。
 今日は何をして遊ぼうかな。とわくわくして帰路についていた私だったが、ふと呼ばれた気がして足を止めた。
 振り返ってみるが、誰もいない。
 もしかして、いたずらかな? と思ったが、それならいたずらをした張本人が隠れているはずだ。しかし、ここには隠れられる場所などない。両側はブロック塀で阻まれているし、一本道で横道はなかった。唯一隠れられる場所といえば、電柱の影くらいか。しかし、人が隠れていたらすぐにわかるだろう。ということは――。
「空耳かな」
 雨の音が私を呼ぶ声に聞こえたのかも、と納得して再び帰路に向かう。
 だが、一歩進んだところで、また呼び止められた気がした。
 もう一度振り返ってみたが、やはり誰もいない。
 しかし、呼び止める声だけは、はっきりと聞こえてきた。雨音に混じり聞き取りづらいが、どうやら声の主は電柱の影にいるらしい。逃げようかとも思ったのだが好奇心に負けてしまった私は恐る恐る電柱に近づいて後ろを覗き込んだ。
「あれ?」
 電柱の後ろには、誰もいなかった。代わりに、小さなダンボールが地面に置かれていた。長く放置されていたらしく、ダンボールは雨で濡れてふにゃふにゃになっている。その中から、弱々しい声が聞こえてきた。
 なんだろう? とダンボールの蓋を開けて中を確認してみると、そこには一匹の子猫がいた。どうやら中にまで雨が染み込んでいたらしく、雨に濡れた子猫が寒そうに震えて鳴いていたのだ。
 それがまるで助けを求めているようかのように思えて、居ても立っても居られず傘を手放した私は両手で子猫を抱き上げた。人肌で温めるべくぎゅっと優しく抱きしめると、子猫がにゃーと小さくお礼を言った。
「もう大丈夫だからね」
 そう子猫に優しく語りかけた後、全速力で自宅へと駆けていく。
 雨に濡れようが、水たまりを踏もうが構わず走り続ける。
 この子を救いたい。
 その一心が私を突き動かしていたのだ。

 家に着いた私は、玄関に入るや否や、大声で母さんを呼んだ。
 しばらくすると、パタパタとスリッパの音を響かせながら、慌てた母さんが姿を現した。そして、雨で濡れた私を見て、目を大きく見開いたのだ。
「ハルカ。どうしたの?」
「この子がね。捨てられていたの」
 抱き上げていた子猫を母さんに見せる。子猫は、腕の中で小さく震えていた。心なしか、だんだん弱っているように感じる。鳴き声だって、出会った時よりも弱々しい。
「この子を助けたいの」
 懇願する私に、母さんは「わかったわ」と強く頷いた。
「とりあえず、ハルカはお風呂に入りなさい。この子は、母さんがなんとかするから」
「助けられるよね」
「それはわからないけど、できる限りのことはするわ」
 本当は、母さんと一緒に子猫の看病をしたい。しかし、私が子猫を心配しているように母さんも私を心配していることが痛いほど伝わってくる。
 だから、私は残りたい気持ちを押し殺してお風呂場へと向かうのであった。

 それが、私とロクとの最初の出会いだ。
 そして、新しい生活の始まりでもある。
 あの日から、トイレ用品や餌皿などの必要な物はもちろん、キャットタワーや猫用のこたつなど家に猫用品が充実していった。中でも一番の変化といえば、父さんと母さんだろうか。
 どうやら、父さんも母さんも猫が大好きだったらしく、ロクがきてからというもの、買い物に行っては猫用のおやつを買い、町で百円均一を見かければ寄って玩具を買うなどロクを溺愛し始めたのだ。

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