「いいから、いいから、さあ、子供たちが事故に合わないように見守りましょう」
慎也の戸惑いなど気にしないように女は言った。強引さに怒って断るほどのことでもなかったので、慎也は成り行き任せに女の真似をした。
「さようなら」「さようなら」
と、校門からは次々と子供たちが出てくる。元気に挨拶をする子もいれば、だまって頭だけさげて駆けていく子もいる。
「さようなら」「また明日」
と、年配の女も一人一人の子供にむかって言うので、慎也も一人一人の子供にむかって挨拶をしていった。
「さようなら」「気をつけて」
なんだろう。この気持ちは。慎也は声を出していると胸の中が熱くなっていくような気がした。まるで一言一言が祈りの言葉のように腹の底から溢れだしてきた。しだいに声が大きくなっていく。
ここに引っ越してくる前は下宿と大学の往復だけだった。サークルにも入らず勉強だけをしていたおかげで単位を取りこぼすようなこともなかったが、なにか大切なものが足りないような気がしていた。それがなんだったのか、少しだけわかったような気がした。もしかしたら、祖母もこれまでの人生で足りなかった何かをここで埋めていっていたのではないだろうか。それが具体的に何かわからない。だが、わからない何かを埋めていけそうな気がしてきた。続けていれば、いずれ何が足りなかったのかわかるのかもしれない。
気がつけば慎也は夢中になって子供たちに挨拶をしていた。
「さようなら、気をつけてかえるんだよ」「走ると転ぶぞ」「宿題をちゃんとするんだぞ」「また明日も来るんだぞ。遅刻するなよ」
速度の速い車に注意を払い、自転車やバイクに子供たちがぶつからないようにしながら、慎也は声をかけていった。
いつの間にか校門の前にきていたPTA会長の吉田は、楽しそうに挨拶をする慎也をみつめ微笑んでいた。手には黄色い旗が二本、慎也の分も握られていた。
慎也はこれから新しい生活がはじまるんだ、と胸の底で感じながら黄色い旗を振りつづけた。子供たちに投げかける声は生き生きとしていた。
「ARUHIアワード」12月期の優秀作品一覧はこちら
「ARUHIアワード」11月期の優秀作品一覧はこちら
「ARUHIアワード」10月期の優秀作品一覧はこちら
「ARUHIアワード」9月期の優秀作品一覧はこちら
※ページが切り替わらない場合はオリジナルサイトで再度お試しください