【ARUHIアワード12月期優秀作品】『黄色い旗』吉岡幸一

 吉田が帰った後、慎也は荷ほどきにも力が入らなかった。ぼうっと考え込んでいる間に夕方になってしまった。外からは子供たちの元気な声が聞こえてくる。家の前は通学路になっていると吉田は言っていた。笑い声、友だちを呼ぶ大きな声、駆けていく足音、それらが窓ガラスをふるわせて慎也の耳に届いてくる。
 落ち着かない。外が賑やかだから落ち着かないのではない。祖母が毎日欠かさずしていたことが気になって仕方がなかったのだ。
 鞄を背中にかけ、靴をはいた慎也は外に出ていった。家の前の道を右側に目をやると、小学校からまっすぐに続くほそい道を、ランドセルを背負った幾人もの小学生が歩いている。四つ角は何カ所もあり、信号機も何台も設置されている。いくつかの交差点では車がひっきりなしに横切っていき、慎也の家に向かう道も数こそ少ないが車が通っていく。小学校の門の近くと、五百メートルくらい先に黄色い旗をもった見守りの保護者がひとり立っているのが見えた。
 慎也は近づいていった。五百メートル先にいる見守りの保護者までくると、慎也は話しかけようとしたが、気づいた相手の方からさきに話しかけてきた。慎也とそう年齢が変わらないような茶髪の女で、PTA会長とおなじ黄色いジャンバーを着て黄色い旗を持っていた。
「孝江さんとこのお孫さんと違いますか。いや、そっくりだから。やっぱり見守りのお手伝いをされるんですか」
 茶髪の女は満面の笑顔で聞いてきたが、慎也はただ曖昧に笑って誤魔化すだけだった。
 信号が青に変わるとすぐに横断歩道を渡って小学校の門を目指した。顔を見ただけで、すぐに祖母の孫だとわかることに驚いた。それほど祖母の顔は校区で知られていたということだろうか。
 校門までは一戸建て住宅と背の低いマンションが並んでいた。間間にクリーニング店や弁当屋、学習塾、保育所などがあり、どこか古くて懐かしいような町並みが続いている。学校の裏側の方には工場が多いせいか、作業服を着た大人が自転車をこいでいく姿もみられる。道路の舗装工事をしている人たちの姿も見られる。
 すれ違う子供達から「だれかに似ている」「あの、おばあちゃんにそっくりの人だ」「おばあちゃん見なくなったね」などと話す声を聞きながら、慎也は校門に向かって歩いていった。
 校門に着くと母と同じくらいの年齢の女が立っていた。先ほどの茶髪の女と同じ黄色いジャンバーを着て黄色い旗を持っている。校門の奥には白い二階建ての校舎が建っていて、横一列に並ぶ窓ガラスには赤らみ始めた空と雲が写っていた。
「あらあら、ほんと孝江さんにそっくりだこと。さっき会長が言っていた通りね」
 いきなり投げかけられた言葉がこれだった。
「ああ、どうも」
 慎也はなんと答えればいいのかわからなかった。
「孝江さんはね、雨の日も雪の日も嵐の日だって欠かさず見守りをしていたのよ。わたしなんか雨が降ったらこんなふうに外に立つのなんて嫌だし、夏は熱いし冬は寒いしね。PTAの仕事だから仕方なくやっているというのに、孝江さんたらだれからも頼まれないのに自主的に見守りをしてくれたなんて、わたしには到底真似ができないわ」
「祖母はどうして子供たちの見守りなんかしていたんですかね」
 慎也は素直な疑問をぶつけた。
「決まっているじゃない。子供たちが安全に通学できるようにでしょう。おもしろい方ですね。そんなわかりきったことを聞くなんて」
「そうなんですかね」
 慎也は納得ができなかった。祖母はもっと別の考えがあって見守りをしていたのではないかと勘ぐった。
「さあ、せっかく来てくれたんだから、手伝ってくださいよ」
 女は考える間も与えず慎也に持っていた黄色い旗を手渡した。
~こんな記事も読まれています~