【ARUHIアワード12月期優秀作品】『黄色い旗』吉岡幸一

 家が広くなったことと通学時間が大幅にのびたことを除けば、慎也の生活にたいした変化はないように思っていた。まさか引っ越しの翌日にPTA会長の訪問を受け、予想もしていなかったことに巻き込まれようとは思ってもみなかった。
「孝江さんは見守りボランティアをされていたんだ。朝や夕方、子供達が通学するときに道に立って黄色い旗をふっている人がいるだろう。それを孝江さんはしていた。普通は子供が小学校に通っている親がするんだけど、孝江さんはそんなことは関係なく自らすすんでしてくれていたんだよ。だれに頼まれたわけでもないのにね」
 吉田は叱りつけるような強い口調で言った。
「知りませんでした。昨日引っ越してきたときに同じ黄色いジャンバーを着て道に立っている人たちをみました」
「そう、それだよ」
「祖母は気むずかしい人だったので、近所づき合いはむろん、家に引きこもって生活をしているものとばかり思っていました」
「確かに気むずかしかったな。よく通学途中の子供たちを叱っていたものだよ。横断歩道は手を上げろとか、挨拶をきちんとしなさいとか、とにかく口うるさい人だったね」
「もしかして何かトラブルでも起こしたんですか。子供の親御さんと……」
「まさか。孝江さんには皆感謝しているんだよ。見ず知らずの他人の子供に注意をしてくれたおかげで、この町の子供たちは長年交通事故に合わなかったからね」
 吉田は続けて、祖母が亡くなったことを最近まで知らなかったと言った。それは祖母が自主的なボランティアとして見守りを続けていたので、PTAで管理しているわけではなかったからだそうだ。それに祖母はプライベートなことは話さなかったようだ。ひとり暮らしの老人なので、むしろ祖母の方がボランティアを受けた方がよいと他人から思われるのが嫌だったのかもしれない。祖母はプライドが人一倍高かったようだから。
 祖母は生前、葬式は家族だけで静かにあげてほしいと言っていたらしい。近所づきあいもない人だから、亡くなったことをわざわざ付き合いのない人たちに伝える必要はない、と母にしても思っていたに違いない。そのせいで祖母の葬儀を知る人は身内以外になかった。いまになって思えば、祖母は単に母や家族に迷惑をかけたくなかっただけなのではないかと思わないでもなかった。
「すみません。仏壇や位牌は実家に置いていまして。ここにはなくって」
 きっと仏壇に手を合わせにきたのだろうと思った慎也は申し訳なさそうに頭をさげた。
「いえ、たしかにご焼香をさせていただきたかったのだけど、今日きたのはそれだけではないから。じつは孝江さんの孫のあなたに意思を継いでいただけないものかと思いましてな。昨今、共働きの家庭もふえて人手不足でしてな」
「僕に黄色い旗をもって小学生の見守りをしてほしいと言うんですか」
「嫌ですか。孝江さんのお孫さんならきっと協力をしていただけると思ってきたんだが」
 慎也は丁寧に頭をさげて断った。大学の講義がない日もあるし、見守りをしても講義に間に合う日もある。ある程度なら協力できないこともない。だが、縁もゆかりもない子供たちのために自分の貴重な時間を費やしたくなかった。ボランティアに勤しんでいた祖母の孫というだけで協力する義務などない。冷たいのではなく、そういうことはPTAの人たちでなんとかするべきことではないのか。慎也はわけもなく腹がたってくるのを感じた。
 吉田は見た目にもはっきりとわかるほど肩を落とした。まさか断られるとは思ってもみなかったようだった。
 祖母はなんのためにそんなことをしていたのか。実家の母にも伝えず、どうしてボランティアなどに現を抜かしていたのか。地域の安全を守るため、子供たちが安心して学校へ通えるため、などと無理に理由を考えてみても慎也にはやはり自分とは関係のない人たちのために働いた祖母の行動が理解できなかった。間違ってはいないが、合ってもいないような気がしてならなかった。

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