祖母の家で暮らすことになったが、慎也は祖母のことをほとんど知らなかった。祖母に会ったのは数えるほどしかない。高校に入学する前の年までは年に一度、正月のときに一泊二日の日程で母と二人で泊まりにきていたがここ三年は顔すら見ていなかった。飛行機に乗って二時間のところに実家はあったので簡単に来れる距離ではなかったというのもあったが、慎也自身祖母の家に行くよりも家でゲームでもしていたほうが楽しかったからだ。
祖母は子供が嫌いに違いないと慎也は思っていた。子供の頃は慎也にお年玉こそくれたけど、玩具を買ってもらった記憶もないし、遊びに連れていってもらったような記憶もなかった。どちらかというと注意ばかりされていたような記憶しか残っていない。可愛がってもらったことなんてあっただろうか。
「勉強をしなさい」「立派な大人になりなさい」「車には気をつけるのよ。赤信号で渡ったらだめですよ」「人には親切にするのよ」「きちんと挨拶をできる人になりなさい」「女の子をいじめたらいけませんよ」
祖母の言うことといえば、何々をしなさいや、何々をしてはいけません、というようなことばかりである。口うるさいな、と当時は思っていたものだ。
「お母さん、そんなんじゃ孫には好かれませんよ」と、母も言っていたものである。
だがPTA会長の吉田の話を聞いていると、祖母は慎也が思っていた姿と違うのではないかと思った。あまりに口うるさく注意されてきた記憶しか残ってなかったので、祖母の姿を勝手に決めつけていただけのような気がした。もっと話をしておけばよかった、と思ったがすでにその願いは叶わないものとなっていた。
慎也はたとえ祖母の家に引っ越して来ても何も変わらないと思っていた。大学に行って家に帰ってくるだけの生活が続くだけであると。帰る場所が大学近くの下宿から祖母の家に代わっただけだ。友だちが遊びに来るわけでもないし、そもそも遊びに来るような友だちはいない。大学で学び、卒業して就職して、やがてはこの祖母の家を出ていくだろう。それまでの僅かな時間を過ごす場所にすぎない。通り過ぎるだけの場所ということだ。新しい生活がはじまるといってもなにも変わらないのと同じだと思っていた。
慎也はそう渇いた心で思いながらも、漠然となにかが足りないと感じていた。だがその足りない何かが何なのかわからなかった。
築六十年、木造平屋建ての一軒家。それが祖母の家である。家を取り囲む板塀はところどころ割れていて、庭は洗濯物を干すスペースくらいしかなかったが、家は案外広かった。六畳の和室が四部屋と広めの台所がある。一人娘の母もここで高校を卒業するまで暮らしていたそうだ。三人家族でならちょうど良いのかもしれないが、一人で暮らすには広すぎる。仏壇は実家の母が引き取っていったが、家具や家電、食器などはそのまま残っていた。全部自由に使って良いということだったが、家具の中には祖母が着ていた服がそのまま残っていたし、食器などはたとえそれが上等な焼き物であったとしても何となく使う気になれなかった。せいぜい洗濯機や冷蔵庫などの家電を使わせてもらう程度である。ほとんどは大学の近くに下宿していたときに使っていたものを持ってきた。とくに布団などはたとえそれが煎餅布団でも自分が使ってきたものでないと眠ることなどできなかったからだ。