新しい友人もでき、大学生活にも少しずつ慣れてきた。
「作り過ぎちゃったからさ」なんて吉田さんは遠慮がちにいつもおかずを持って来てくれる。そのさりげない優しさが好き。控えめな吉田さんと浜本さんは少しタイプが違う。浜本さんは「勉強頑張ってるかぁ」とノックもせずに玄関の戸を開けるようなタイプ。良い意味で何の隔たりもなく接してくれる。少ししゃがれた声は若い頃のお酒と煙草のせいだとのこと。とにかく二人とも優しくて面白い。
こんなにも満たされた生活だけど、寂しさというものはある日、突然襲ってくるものだ。ホームシックというやつ。自分には無縁と思っていたけれど、しっかりと私の心にも現れた。当たり前に存在すると思っていた人や風景が一定期間無くなってしまうと、人間は寂しくなるものなのだと我が事ながら感心する。
「意外と早い里帰りだなぁ」と少しイタズラに父さんが笑う。
「違うよ、ちょっと用事があっただけだし」と愛想の無い私。
「新しい生活はどう? ちゃんと食べてる?」
「うん、みんな良い人ばかりだから大丈夫よ」
「彼氏はできたのか、どうせできないだろ?」
「これからです!」
「だろうな」と笑う父さんは少し安心そうな表情を浮かべた。
なんだかんだで一番心配しているのは父さんかも知れない。男って素直じゃない。
「ばあちゃん、元気?」
「母さんの心配なら大丈夫よ。毎日、畑仕事してるわ」
「良かった。明日にでも行ってみる」
ばあちゃんの家までは歩いて十五分。川沿いの道を行くのが最短コースだ。たった三ヶ月ほど離れていただけの故郷の風景が妙に懐かしく感じられた。きっと、この川の流れは遥か遠くの海へと至るに違いない。私は道端の草を摘み取ると川面へ浮かべ、流れ行く様子を目で追った。明日、帰った時に海で会えるといいな、なんて子どもみたいなことを考えながら。
私の実家も古いが、ばあちゃんの家はそれよりもずっと古い。その佇まいからも一目瞭然で、まるで昔話に出てきそうな古い家屋は、今では珍しい茅葺屋根なのだ。
「ただいま」
奥の方から「はぁい」と返事が聞こえ、玄関へと向かうしっかりとした足音が聞こえた。それは決してすり足ではなく、一歩一歩、確実に床を踏みしめる足音で、まさか八十歳を過ぎた人の足音とは思えない力強いものだ。
「あら、結衣。元気そうじゃないの」
「ただいま」
上がり框に立つ円背のばあちゃんと私の目線がほぼ同じ高さに揃う。ばあちゃんは私をそっと抱きしめた。元気とはいえ、その体は細く小さい。
「寂しくなったのかい?」
「ちょっとだけね、けど、大丈夫。元気出た」
昔からばあちゃんの前では素直になれる。何を言っても優しく包み込んでもらえるような安心感があったし、たとえ嘘をついたとしても心を見透かされそうな気がしていたから。
居間の座布団に座ると、ばあちゃんが両手でお盆を運んでやって来た。私が慌てて腰をあげると「大丈夫よ、座ってなさい」とばあちゃん。
カラカラとグラスの中で揺れる氷とシュワシュワと無数に湧き上がる小さな泡。
「綺麗だし涼しげでしょ?」と、ばあちゃんが夏に出してくれる飲み物は昔から専らサイダーだ。
炎天下を歩いて来たので随分と喉が渇いていたことに気付き、すぐにゴクリと一口飲んで喉を潤した。チクチクと喉を優しく刺激するサイダーの味は格別だった。
庭の木にとまったアブラゼミが大きな声で鳴き始める。山から涼しい風が一つ通り抜け、私の火照った体を優しく冷ましてくれる。やっぱり、海も良いけれど山には山の良さがある。
ばあちゃんとは僅か一時間ほどの時間にいろんな話をした。今の私の生活について、ばあちゃんはまるで自分のことのように曲がった背中をさらに前に傾けて目を輝かせた。