アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集する「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた10月期の優秀作品をそれぞれ全文公開します。
お父さん。今年も、南町公園の桜の蕾がふくらみました。あと何日かしたら咲きそうです。中学の入学式まで、咲いているでしょうか。
今日もサクラと一緒に来ています。桜の木の下の、お父さんがよく座っていたベンチの前が、サクラのお気に入りの場所です。そう言えば、仔犬のサクラが入っていた段ボールも、同じ場所に置かれていたんだったよね。そのとき桜の花が満開だったから、「サクラ」って名前にしたんだよね。今日もサクラはヨロヨロしながらここまで歩いてきて、ハアハア言いながら、パタッと伏せてしまいました。だから僕はサクラにつきあって、お父さんがよく座っていたベンチに座っています。
サクラは17歳になりました。もう、目もよく見えないみたいです。お父さんが死んだあと、しばらくは、この公園で僕とボール遊びもしたけれど、僕が高学年になってからは、ほとんどやらなくなりました。今はもう、走れません。でも、お父さんがサクラに買ってあげたボールは今もお気に入りで、かなりばっちくなってるけど、よく抱えて寝ています。お父さんとボール遊びした夢を、見ているのかもしれません。
僕はサクラがうらやましい。だって、サクラはお父さんのことを、僕よりも、お母さんよりも、知っているんだから。僕よりもたくさん、お父さんと遊んだんだから。
サクラは、お母さんより2年分、お父さんのことを知ってるよね。僕とサクラの差は4年分。でも、実質の差は、4年どころじゃないって思う。だって僕、お父さんの記憶が、正直言って、そんなにたくさんないんだよ。小っちゃいときの記憶はほとんど残らないなんて、ほんとに人間はザンネンです。その代わり、お父さんと一緒に映った写真がいっぱい残っていて、良かった。
サクラは犬だから早く大きくなって、お父さんとたくさん遊べたし、きっとお父さんの記憶もいっぱいある。それはうらやましいけど、その分早く歳をとってしまいました。僕とお母さんには、それが悲しいです。
僕には兄弟がいないけど、サクラがいました。サクラと一緒なら寂しくなくて、2年生で児童クラブをやめました。児童クラブにいるよりサクラと一緒にいる方が、好きだったんだす。サクラは賢くて、よその犬みたいに、引っ張ったり、急に駆けだしたり、誰かに吠えたりしなかったから、僕が低学年のときでも二人で散歩できたし、お母さんの帰りが遅くなっても、二人で留守番していたから寂しくなかったよ。
でも今、サクラはすっかりおばあちゃんになってしまいました。犬の17歳は人間でいうと84歳だよ、って、動物病院の先生が言っていました。84歳でも元気なおばあちゃんが、人間にはたくさんいると思うけど、サクラは違う。僕が低学年の頃はもっと遠くまで散歩に行ってたのに、だんだん歩く距離も時間も短くなって、南町公園の中を、休み休み一周するのがやっとになって、最近はもう、来るのが精いっぱいです。ウンチとおしっこだけしたら、後は歩いているより、桜の木の下に座り込んでいる時間の方が、長くなってしまいました。
でも、この公園までは、毎日必ず来たがります。雨が降っても、来ます。家の前にあって、良かった。他に行こうと引っ張っても、賢くて優しいサクラが、そこだけはガンとして譲りません。台風なんかでどうしても家から出してやれない日は、家の窓から公園の方をじっと見ています。
サクラはこの公園で、お父さんのことを思い出してるんだと思います。お父さんと、毎朝一緒に来てたから。
僕もこの公園に来ると、お父さんが側にいるような気がします。
・・・あ、今、サクラがヨロヨロ立ち上がりました。もう今日は満足したみたいです。これからゆっくりゆっくり、帰ります。
明日も来るね。