【ARUHIアワード10月期優秀作品】『いつかわかればそれでいい。』森な子

 結論から言うと、ゆうこちゃんは家を出て行ってしまった。鈴木さんとゆうこちゃんがどういうやり取りをしたのかはわからない。二人で食事に行くから、ともちゃんは待っていてね、ごめんね。食事は作ってあるから温めて食べてね。そんな風に、ゆうこちゃんはいっそ泣き出してしまいそうな顔をしながら言って、それきり帰ってこなかった。
「鈴木さん、ゆうこちゃんを追いかけなくていいの?」
 その晩私は、リビングでぼうっと座っていた鈴木さんにそう投げかけた。
「追いかけるって、どうして?」
「だって、あなたの奥さんでしょう。奥さんが家を出ていってしまったら、旦那さんは追いかけるものでしょう」
 私が言うと、鈴木さんは驚いたような顔をした後、困ったな、という表情で笑った。
「友がそんなことを言うようになるなんてなあ」
「ちょっと、茶化さないでよ。私今、わりと怒っているよ」
「どうして?」
「私、今は鈴木さんよりゆうこちゃんの方が大切なの。だから怒ってる。私は女だからゆうこちゃんお嫁さんにできない。でもあなたはできるし、実際にそうしていた。だったらあなたにはゆうこちゃんとゆうこちゃんの人生に対して、責任があるはずでしょう」
「誰の人生に対しても、自分が責任を負うことなんてこれっぽっちもないんだよ、友。そういうことをはき違えちゃいけない。そこにあるのは責任なんて言葉じゃなくて、優しさとか慈しみとか、そういうものであるはずなんだ。俺はそう思うよ」
「じゃあゆうこちゃんに対して優しくしてよ、慈しんでよ」
 鈴木さんは何も言わなかった。ただ黙って私の目をじっと見ていた。
 私は居ても立ってもいられなくなって、弾かれるようにその場を駆け出した。鈴木さんがやらないなら私がやる。
 優しい人は、どうして優しいのだろう。
 そんなへんてこなことを、夜道を走りながらぐるぐると考えた。ゆうこちゃんが優しくなかったら。私のような女を連れてきた鈴木さんに対してちゃんと怒って、私を追い出して、帰りが遅い鈴木さんに理由を問いただして……。そういうことができていたのなら、もっと違ったはずだ。何もかも違ったはずだ。何が違ったのかは、具体的にわからないけれど。
 ゆうこちゃんは皮肉なことにも、私と静流さんが腰かけた公園のベンチにぽつんと座っていた。薄暗い闇の中で一人座るその姿があんまりに寂し気で、私はなんだか胸がいっぱいになってしまった。
「ゆうこちゃん」
 声をかけると、ゆうこちゃんはゆっくり顔を上げた。私の顔を見ると少しほっとしたような表情になって、それが嬉しかった。何も言わずに隣に腰かける。静流さんにはしなかったけれど、ゆうこちゃんにはしてあげたくなって、私は自分が着ていた上着をゆうこちゃんの肩にそっとかけた。
「いいわよ、ともちゃんが風邪を引くわよ」
「平気。ここまで走ってきて、むしろ暑いくらいだから」
 そう言うと、ゆうこちゃんは少し黙ってから「ありがとう」と呟いた。
「ともちゃん、私たち、もう会うのはやめましょう」
「え……」
「そうしないと、駄目になる」
 いつも、どんなことも懇切丁寧な口調で説明してくれるゆうこちゃんが、珍しく突き放すような言い方をするものだから、私は唖然として、戸惑ってしまった。そして、段々と悲しみが胸の内に溢れてきて、気づくと涙が溢れていた。
「ゆうこちゃんのアホ、どうしてそんなことを言うの」
「……あのね、ともちゃんはもしかして、私のことをものすごく優しくて、良い人だって思っているかもしれない。ていうか、十中八九そう思っているでしょう」
 核心をつかれて私は黙った。確かにそう思っている。でも、ゆうこちゃんがそれを自覚しているとは思っていなかった。
「わかるわよ、それくらい。ともちゃん、私あなたのことを本当に大切に思っているわ。妹ができたみたいで嬉しかった。あのね、私、実を言うと鈴木さんのこと好きじゃないの。愛してなんかいないのよ」
「え……」
「あの人はとても良い人だから私を拾ってくれたの。ともちゃん、あなたも同じよね。でも、もうあの人に返さなくちゃいけない、あの人の人生を」
「わからないよ。どういうこと? ちゃんと説明してよ」
「駄目よ。私は優しくないから説明なんてしてあげられない」

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