丸くなったなあ、私。昔だったらきっと、自分のことを殴ってきた相手のことを決して許さなかっただろう。
「あなただったら良かったのに」
「え?」
「ゆうこさん、って人が。あなたみたいに、きつい感じの人だったら良かったのに」
その言いようがあまりに正直で、私は呆れたり怒ったりできずに笑ってしまった。確かにそうだ。恋愛小説や映画などの恋敵によくいる、気が強くて積極的な、典型的なライバルキャラのような私がゆうこちゃんだったら、彼女はきっとヒロインになりきって、鈴木さんを奪おうとできたのだ。
けれど、できない。理由はわかる。ゆうこちゃんのあの、柔軟剤みたいな表情を見たら、そんなことは誰しもができない。
「殴ってすみませんでした。本当に申し訳ないです」
「え? ああ、いえ、いいですよ、もう」
「あの、私は安藤といいます。あなたは?」
「私は……友です。苗字はあまり言いたくないので勘弁してください」
「え……そうですか。あの、何故でしょう?」
「そういうこと、聞けちゃう人なんですね」
「あ、す、すみません」
「いえ、いいですよ、全然嫌じゃないです。実家があまり好きではないので。だから早く新しい苗字がほしいんです」
「そうですか……」
安藤さんはしばらく俯いた後、ぱっと顔を上げて、
「ではあなたのことは友さんと呼びます。なので、私のことは静流と呼んでください。私の、下の名前です」
と言った。その生真面目な感じとか、どころか少し抜けているかんじが可笑しくて、私はまた少し笑った。
「お腹に、赤ちゃんがいるんですか」
私が言うと、静流さんは小さく頷いた。公園のベンチに腰かける。固くてひんやりしていて、私は一瞬、妊婦さんをこんなところに座らせていいものだろうか、と不安になった。
「ごめんなさい。本当は全部わかっています。私が人を責められるような立場に居る人間じゃないってこと。彼に奥さんがいるってことは知っていました」
「じゃあ仲間ですね。私も、あの人に奥さんがいるって知ったうえで、その奥さんと暮らす家に潜り込んだんです」
私が言うと、静流さんは驚いたように目を丸くさせた。
「あの、ゆうこさんは何も言わなかったんですか?」
「ええ。彼女ちょっと変わってるんです」
「そうですか……」
「あの、鈴木さんのどこがいいんですか? 奥さんがいるのに外で遊ぶし、私のような女を家にいれているんですよ?」
「いいとか悪いとか、そういうのじゃないんです。私、もうどうしようもないんです。あなたならわかるでしょう」
「どうだろう。昔の私ならわかったかもしれないけれど」
「……帰ります、私。お腹の子供は産みます。絶対に産みます。祐樹さんやゆうこさんやあなたが何と言おうと」
「少なくとも私は反対しませんよ。でもそれだけです」
「はい」
はいってなんだろう。訊ける雰囲気じゃないので訊かずに黙っていた。
道徳の授業を受けているみたいな時間だった。ゆうこちゃんは傷つくだろうか。きっと傷つくだろう。でも私が彼女を心配できる筋合いはない。
鈴木さんのことも静流さんのことも、もっといえば静流さんのお腹にいる赤ちゃんのことも、この際私にはどうでもよかった。ただゆうこちゃんのことだけが気がかりだった。優しいゆうこちゃん。きっと戸惑って、悩んで、ぼうっとして、心を痛めて、一人で涙を流すだろう。それも、自分のためだけにではなくて、静流さんと、その赤ちゃんのことを思って泣くのだ。
ゆうこちゃんはそういう人だ。