「おばあちゃん、ひとりが気楽だって言ってたのに、知らない人と暮らして大丈夫なの?」お母さんとは暮らせないのに、という一言をすみれはぐいっと飲み込んだ。
「ずっと一緒に暮らすってわけじゃないよ。お互いの生活に干渉し合わないから、気楽なもんだよ」菊枝はお茶を一口飲んで、ふうっと息をついた。
「本当はね、サツキやすみれちゃんに相談しようと思ってたんだよ。でも、すみれちゃんは『おばあちゃんの好きにしたらいいよ』って賛成してくれると思ったけど、サツキには猛反対されそうだなって」
「そうだね……。お母さんは、反対しそう」すみれが少し眉をしかめていると、菊枝はにっこりと笑った。
「すみれちゃんも、そう思うでしょ? でも、サツキ自身に悪気があるわけじゃない。すごく心配してくれてるのは分かってるつもり」
そこまで言って、菊枝は少し目を伏せた。
「でもね、おじいちゃんと暮らしたこの家で、ずっと暮らしたかった。それに今回の下宿のことは人助けに近いけれど、わたしの思い出の場所を守りたいっていう気持ちもあるから……。反対されたくなかったんだよ」
「思い出の場所……?」すみれがそう言葉を返すと、菊枝は小さくうなずいてこう続けた。
「前に遊びにきた時、一緒に商店街にお買い物に行ったでしょ?」
「うん。夕飯のお惣菜と、トイレットペーパーとか、かさばるものを買って帰ってきたよね。あと、お仏壇にお供えするお花も」すみれが思い出しながら話していると、菊枝は「さすがすみれちゃん。よく覚えてる」と笑った。
「あのお花屋さんね、年内でお店を閉めることになって。おじさんもいい年だから」
「え、そうなんだ。おばあちゃん、あのお花屋さんでいつもお仏壇のお花買ってたのに」すみれがそういうと、菊枝は目を伏せて寂しそうな顔をした。
「あのお花屋さんでね。おじいちゃん、いつもお花を買ってくれてたんだよ。一緒に商店街を通った時、今日は仲良しですね! なんて声かけられて。おじいちゃん真っ赤になって恥ずかしそうだった」
おじいちゃんの話をしている菊枝おばあちゃんを見ると、今でもずっとおじいちゃんが大切な存在なのだと、すみれは感じずにはいられなかった。おじいちゃんの話をする菊枝おばあちゃんの表情は、恋バナで盛り上がっているすみれの友達と変わらない。
「でもね、お孫さんの弘樹君がお花屋さんを継ぐって言ってくれてね。町の人に愛されているお花屋さんだからこそ、続けたいんだって」
「へえ。すごいねえ」すみれは頷きながらも「自分だったらお店を継ぐ決心はできないかもしれないな」と思っていた。今の時代、個人でお店を続けるのは、きっと簡単じゃあないだろう。
「お花屋のおじさんのお家はもう売却が決まったらしくて、弘樹君は住むところがなくてね。お花屋さんの奥で寝泊まりするって言ってたんだけど。それじゃあ体に悪いからって二階の一部屋を貸すことにしたんだよ」
おばあちゃんはさらりとそう言ってお茶を飲んだけれど、すみれはようやく附に落ちて「そっか」とうなずいた。おばあちゃんは今でもおじいちゃんとの思い出の中を生きている。大事な場所を守り続けてくれるのならば、一部屋くらい差し出してもなんてことないのだろう。
「そっかあ。おばあちゃんこれから新しいことが始まるんだね」
「そうよ。でもおばあちゃんもちょっと心配。一応お店に慣れて、軌道に乗ったら住むところを探すっている約束してるんだけど。まあ、初めはうまくいかないだろうからね、最低でも一年半は二階で暮らすことになるかな?」
「おばあちゃん、結構シビアだね」
「そりゃそうよ。新しい仕事を始めるには、体力が必要だし、簡単じゃないよ。お花屋さんのことだけじゃなくて、おばあちゃんの大家さんとしての仕事もね」
おばあちゃんが新しいことに目を向けて暮らしてくれるのは、すみれにとっても嬉しいことだった。花瓶に生けた花だって、こまめに新しい水に取り替えると、驚くほどに長く咲いてくれる。毎日の暮らしでも、新しい出来事に触れるとワクワクした気持ちが湧いて来るに違いない。