「ありがとうございました! またよろしくお願いします」
宅急便だろうか? 少し先の家から、はきはきとした声のやりとりがすみれの耳に届いた。道のすぐ先には配送車が止まっていた。
ていねいにお辞儀をして、その声を発した男の人はパタパタっと急ぎ足で止めていた車に向かった。急ぎ足ながらもズボンの後ろポケットに右手を突っ込んで、小さなメモ帳を取り出した。何かを確認したあと、またポケットにメモを滑り込ませた。その時、メモ帳からひらりと小さな紙が滑り落ちたのがすみれの目に留まった。けれど、男の人は気が付かない様子で車に乗り込んでしまった。
すみれは少し急ぎ足で滑り落ちた紙を拾い上げた。いらないレシートかもしれないと思ったけれど、もしかしたら大切なものかもしれない。そう思いながら拾ったメモを掴んで、停車中の配送車の窓をコンコンとノックした。運転席に乗り込んだ男は車の窓を開けて顔を向けた。
「この紙、さっき落としましたよ」すみれはそう言って拾った紙切れをひらひらと動かした。男はハッと慌てた顔をして、車から降りてきた。すみれよりいくつか年上だろうけれど、目が細くて、ほんの少し頼りなさそうにも見える。
「すみません、何回も見てるせいか、メモが破れちゃったみたいで……。気をつけなくちゃ」と男はぺこぺこと頭を下げている。その様子にすみれも安心して「はい、これ」と拾ったメモを手渡した。
男は「ありがとう! 助かりました」とにっこり笑ったかと思うと、あ、ちょっと待ってと車の扉を開け、何やら後部座席をごそごそと探っている。
「これ。拾ってくれたお礼に」
差し出された手には、一本の薄いピンク色のガーベラが優しく握られていた。すみれがあっけにとられていると「これから出掛けるとかだったら、邪魔になるかな?」と、男は恥ずかしそうに慌てて手を引っ込めようとした。すみれは慌てて首を振って「大丈夫。おばあちゃんの家に飾らせてもらいます」とちょっとはにかみながらガーベラを受け取った。男の人は「本当にありがとう!」と言って、また車に乗り込んでしまった。すみれは、小さく会釈して車から離れてまた歩き出した。
右手に持ったガーベラがこそばゆくて、すみれの心は少し弾んでいた。「男の人からお花をもらったの、初めてかも」
正確に言えばプレゼントとは言えないだろう。それでも、すみれの心はなんだかじんわりと温かくなっていた。
「すみれちゃん、いい時に来たね。美味しいクッキーをもらったんだよ」
おじゃましますと、すみれが祖母の家に上がる。すみれは何気なく玄関をきょろきょろと見回した。若い男の人と暮らす、ということはもしかしたら男物の靴とか、スニーカーがあるかもしれない。しかし、玄関はきれいに整理されていて、普段菊枝が庭仕事の時に履くサンダルだけが目にとまった。ただ、これまでと違うのは、小さな花瓶が置かれていたことだった。靴箱の上には祖母と祖父が並んでいる色あせた写真が飾られていたけれど、そのそばに色とりどりの花が飾られていた。すみれが手に持っていたガーベラを見ると、祖母は眩しそうに目を細めて「お水に入れないとね」と優しく受け取ってくれた。
「今お茶入れるから」すみれが遊びにきたことが嬉しいらしく、菊枝はぱたぱたとせわしなく動き回っていた。
「私が入れるから、おばあちゃん座ってよ」何気なく返事をしながらも、すみれは家の中に何か変化がないか、ちらちらと目線を動かした。