アジア最大級の国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア (SSFF & ASIA)が展開している、短編小説公募プロジェクト「BOOK SHORTS (ブックショート)」とARUHIがコラボレーションし、3つのテーマで短編小説を募集する「ARUHIアワード」。応募いただいた作品の中から選ばれた10の優秀作品をそれぞれ全文公開します。
5。
ついに始まった。
夢にまで見た我が家を手に入れるまでのカウントダウン。
思い返せば、ここまでの道のりは決して楽なものではなかった。
いや、苦労ばかりと言った方が正しいかもしれない。
今、私の座る運転席の隣に座っている妻とその手に抱かれた我が息子には感謝しかない。
ここまで来るのに、二人がいなければ私は間違いなく挫折していただろう。
張り合いもなく、漫然と働くだけの日々であったかもしれない。子育て、人間を育てるという大変難しいテーマを幸運にも抱えることが出来たが、家族の幸せを考えたこの選択は、間違えでないと信じたい。
4。
この選択を思い立った経緯をお伝えしよう。
それは私の年齢が三十五歳になった三年前だ。
いつもの通勤列車の中で、つり革に捕まってぼんやりと揺られていた。
『今、○○に住む決断を』
視界に雑誌の中刷り広告が入った。『○○』一体、何だろう。気になった。会社のある駅で降り、そのまま売店で雑誌を購入した。
相変わらずのスキャンダルの記事には目もくれず、目的のページへと捲った。
その『○○』を知った瞬間、視野が広がった。
これまで私が思いつかなかったことが書かれていた。
そして、その時の私の年齢は決して早い方ではなく、むしろ普通の感覚からすれば遅いと思う。しかし、私はその年齢だったからこそ動けたのだかもしれない。
理由はシンプルだ。
まず、貯金ができていたこと。
贅沢をしなければ、我が家を手に入れるリスクを含んだとしても、しばらくは暮らしていける。もっと若ければ、そこへと踏み出す現実的な余力がなかっただろう。
これから一番の贅沢をするために、多少の我慢は仕方がないと思いつつ、それを家族に強いるのは申し訳なかった。
そう、家族が私を突き動かした大きな原動力となっている。
妻とは結婚をして十年になり、その間、コウノトリは我が家にやって来なかったのだが、私がその決断をするかどうかを妻に相談した翌日、懐妊が判明した。
これは私に何としても我が家を手に入れろという天の思し召しとしか思えなかった。
3。
それから妻の為、生まれてくる我が子の為、自身の為に懸命に動いた。
私が狙っているものはおよそ50倍の倍率を勝ち抜かなくてはいけない。昔の倍率は100を余裕で超えていたというから、それに比べたらとは思うが、50倍は決して広い門戸ではない。
だから、私は寝る間も惜しんで動いた。
というのも、勝ち抜く為には様々な条件が課せられていたのだ。
資格が必要となれば首っ引きで勉強をし、体力が必要となれば、必死に体を動かした。
その分、妻には迷惑をかけた。
身重であることをろくにケアをせず、自分勝手だったと思う。挙げ句の果てに、ついに我が子が生まれるという日は、見事に勝負の日と重なり、私は立ち会うことはせず、勝負へ向かった。
妻は自分が苦しみながらもそれを良しとしてくれた。
感謝しかない。
勝負の日、『この日の為に、これまでがあった』との思いが過ぎり、武者震いした。ちなみに今も武者震い中である。
本当の意味で『今日の為』にこれまでがあったのだから。
そして、妻は見事に母子ともに健康に男の子を産んでくれた。そして、私たちは息子の名前は希望を込めて『そら』と妻が名付けた。無限に広がっている『空』であり『宇宙』であるという。後者の方は、ややキラキラネームかもしれないが、私たちにとっては大切なワードであった。