ユカは、隆夫に会うのが一年ぶりにも関わらず、保育園に迎えに行った時、体を思いっきり投げて抱きついてきた。
住宅街を互いの影を踏みあい、右に左にじゃれあいながら歩く。周りの母親たちは隆夫とユカを親子だと思ったに違いない。そうなると、母親は有美だな、と隆夫は思った。あいつは今頃、家で仮眠を取っているだろう。そして、数時間後には夜の店でお客をとることだろう。
帰り道、隆夫はユカの手を強く握った。ユカが見上げて、痛い、痛いよと言った。お母さんのことが好きか、と訊いた。ユカがうん大好き、と笑った。
買ってきたショートケーキにろうそくを立てて、火をつける。電気を消して、ハッピーバースデー、と隆夫は言って、ユカはありがとう、と言った。冷蔵庫からオレンジジュースを取り出すと、チャーリーも興奮して彼女に言葉を送る。
「なんて言ってるのかな」
「ユカちゃん、おめでとうって言ってるんだよ」
ユカはチャーリーに向かって、ありがとう、と言った。
ユカがまだ有美のお腹にいた頃、有美は暴力をふるう夫と暮らしていた。
彼は中性的な顔立ちだけど、酒が入ると人が変わって有美に手をあげた。いつまでも、あの男と一緒にいるくらいなら、オレのとこに来い、と隆夫はよく言ったものだった。しかし、あざになった体を白衣で隠しながら、有美は、あんな奴でもあたし、好きなんだ、と言って聞かなかった。
だから、有美が夫と別れたと知った時、隆夫は驚いた。リンガーにキムチを流し込む作業の時に、あいつと別れた、と耳打ちされた。隆夫はなんだか夫婦というものは、動物の雄と雌のようだな、と思った。そして、有美は野菜を切るためのまな板を消毒している隆夫に、だから、あなたと寝てあげてもいいよ、と言った。
おじさん、これ、なあに、とユカが隆夫の半ズボンを引っ張っていることにふと気がつく。
「あけてごらん」
ユカは、待ちきれないというように、誕生日用に包装した袋を素早く開けた。
これからは、この子も君の家族だよ、と隆夫は心の中で言った。隆夫がいつもチモシーやらペレット、ペットシーツを購入している店で買ってきたキンクマハムスターが、飼育ケースで眠っている。わああ、と顔を緩ませてユカは喜んだ。有美の頬にそっくりだ、と隆夫は思った。
「今日から、この子はユカの家族だよ」
隆夫はケージから、ゆっくりとおがくずごとハムスターを掬い取ってユカに渡した。
夏の夜風におがくずが散った。もぞもぞと体をよじりながらハムスターは大あくびをした。
今頃、青木のおじさんはガード下で一杯ひっかけているに違いない。ヒヨコの福岡さんは夜ごはんを済ませて、孫とソファでゆっくりしていることだろう。オレは来年29だ、何ができるだろうか、と隆夫は思った。
チャーリーを抱えたまま眠ってしまったユカから彼を、彼女を起こさないように注意しながら引き抜き、ケージに戻す。代わりにユカにはタオルケットをかける。
スマホが鳴った。有美からだった。今から帰るね、カギ開けといてね、とスタンプ付きできた。ユカの寝顔を見ていると、たまらなく愛おしくなった。
七月の第三日曜日の海水浴場は大勢の人々で賑わっていた。色とりどりのビーチパラソルの下に家族の笑顔がたくさんあった。
とにかく日差しが強い日だった。
天気予報のキャスターは、朝から30度を越える暑い一日となるでしょう、こまめな水分補給を心がけてください、と言っていた。
「チャーリーとキンクマくん、この暑さでばててないかな」
「大丈夫だよ。クーラー入れてきたから」
「安月給のくせに、やるね」
「当たり前だよ。家族だから」
有美は、風で帽子が飛ばないように抑えながら、人で埋まる海の方を見ている。ロングヘアーがさらさらとなびいた。あれほど日焼けを気にして、車から降りないからね、と突っぱねていたのに、ユカが、ママ、一緒に泳ごうよ、と笑いかけると、嘘のようにはしゃいで砂を蹴り上げていった。隆夫はぼんやりと、その親子の光景を後ろから見ていただけだ。