マイホームを売ったり買ったりする時などの不動産取引では「印鑑証明書」(印鑑証明)が何枚か必要です。
買う側は住宅ローンの登録で、銀行提出用に2~3通、抵当権設定用に1通、購入不動産の内容や借り入れ内容、金融機関によって、必要枚数は変わります。不動産登記申請でも法務局に1通提出します。
一方で売る側は所有権移転登記に1通が必要です。印鑑証明書は、不動産取引以外でも自動車を買うときや公正証書(遺言など)を作成するときなど、極めて重大な契約で必要となる書類です。
行政手続きのオンライン化・ペーパーレス化が進む近年、証明書にまつわる手続きがどのように変わっていくか解説いたします。
ペーパーレス化は時代の要請。将来は印鑑レスに!?
印鑑証明書を取得するには、住民登録している自治体に、あらかじめ印鑑登録しておかなければなりません。受理された印鑑は「実印」と呼ばれます。
この印鑑証明書の是非をめぐり、近年、大きな議論がなされてきましたが、今年の5月24日、国の行政機関が行政手続きを原則インターネットで受け付けられるようにする「デジタルファースト法(通称)」が参議院本会議で可決、成立しました。
デジタルファースト法は、既存の行政手続オンライン化法やマイナンバー法、公的個人認証法、住民基本台帳法などを一括改正したもので、国の行政機関が行政手続きを原則インターネットで受け付けられるようにしようというものです。
この法律では次の3つがキーワードになっています。
1.デジタルファースト
行政手続き業務の処理手法をデジタルで優先して行う
2.ワンスオンリー
必要な情報は1度の入力で済むようにしていく
3.コネクテッド・ワンストップ
行政機関がまたがる手続きなども一度の申請で完了していくようにしていく
例えば、引っ越しの際、これまでは住所変更届を役所、電力会社、ガス会社、水道局など別個に出さなければなりませんでしたが、この法律により、ネットで住民票の移動申請をすると、それに連携してすべての住所変更がワンストップで完結するようになります。ただ、この行政手続きのオンライン化は、地方自治体に関しては努力義務とされているので、進捗が遅い自治体もあるでしょう。とはいえ、紙の文書であふれていた行政機関では、その運営の簡素化・効率化が大きく前進すると期待されます。
ペーパーレス化は時代の要請。将来は印鑑レスに!?
このデジタルファースト法案は3月に閣議決定されましたが、法案には当初、法人設立の際に必要な印鑑届出義務を廃止する案が盛り込まれていました。ところが、印鑑業界の反発を受けて、廃止は見送られました。
行政手続きに印鑑を使っているのは、世界中で日本のほかに韓国と台湾だけだといわれています。この3ヶ国以外は、サインや電子認証・生体認証です。日本で見つかった最古の印鑑は、教科書にも出てくる「漢委奴国王」の金印ですが、印鑑発祥の地・中国も現在はサインです。
印鑑と常にセットになっているのは、「紙」の文書です。
行政でもビジネスの場でも、紙の文書に押印し、その紙自体を保存してきたわけですが、近年のペーパーレス化の流れにおいては、ムダといわれても仕方がないでしょう。また、押印文書をPDF化してデータ保存しているところもありますが、それは本来の意味でのデジタル化ではありません。業務効率化や環境保全の観点から、官民を問わず、ペーパーレス化は時代の要請であり、印鑑もセットで考えることになります。
自由民主党IT戦略特別委員会副委員長の木原誠二衆議院議員は情報通信政策フォーラム(ICPF)で3月に「デジタルファースト法の成立を目指して」との講演を行いました。講演後の質疑応答で次のように語っています。
「登記や印鑑を用いた手続きなど、もはや時代遅れかもしれない手続きが残っています。政治は一気には前に進みませんが、今後、できる限り広く理解を得て、時代に合ったものにしていきたい」
今回の法律は一般的な見直し規定があるものの、民間の個別商取引にまで踏み込んだ内容にはなっていません。例えば、不動産登記令第16条では、「不動産の登記申請の際は登記申請書又は委任状に記名押印したときは、印鑑に関する証明書を添付しなければならない」と定められています。
また、宅地建物取引業法第35条は、「宅地建物取引業者は、…これらの事項を記載した書面を交付して説明をさせなければならない」と重要事項を書面で交付するように求めています。これらの法律を改正しない限り、不動産関連における本質的なデジタルファーストは実現しないことになります。
印鑑による本人確認の限界、そして電子認証の今後
業務効率化とユーザーの利便性向上においてペーパーレス化やオンライン化は必須ですが、東洋大学名誉教授でICPF理事長の山田肇氏は次のように語ります。
「どんな取引でも常に取引相手の信用という問題が付きまといます。それは電子取引でも同じです。個人に対する認証、データや電子書類の認証、データや電子書類の暗号化など、取引の信用を維持する仕掛けが必要ですし、段々にそれが整備されてきました。従来の商習慣である印鑑証明書の提出は取引相手の信用を担保する仕組みですが、その実印自体、どんなに印影を複雑にしても、今は3Dプリンターで偽造することができます。そんなことは専門家なら誰でも知っていますが、実際に証明する人はいません。犯罪の助長につながりますので」
大手住宅メーカー・積水ハウスが、地面師グループから土地購入代金およそ55億円を騙し取られた事件では本人確認用の印鑑登録証明書やパスポートなどが偽造され、グループの「成りすまし犯」が手付金を受け取っていました。この事件で3Dプリンターが使われたのかどうかは不明ですが、実印も印鑑証明書ももはや本人証明としては心もとないものだということが分かります。
デジタルファースト法への期待と問題点について、山田氏はこう話します。
「この法律が徹底されれば、政府や自治体のデジタル化は大きく進みます。ただ、『本人確認や現物確認がどうしても必要と認められる場合は電子化の対象外とする』という例外規定が設けられています。何を例外とするかは省令で定められることになっています。11月に各省が省令案をパブリックコメント手続きにかけましたが、国民から見た場合、その例外とされる手続きが本当にデジタル化できないものなのかどうかは不明です。役所の立場からすれば、制度変更が面倒くさいとすべて従来どおりで残してしまう可能性がある。私はすべてのパブリックコメントに、例外にする理由を明確に提示するよう求めました」
12月20日、政府の「デジタル・ガバメント閣僚会議」で、行政手続きの電子化推進に関する実行計画をまとめました。24年度までに国の行政手続きの9割についてオンライン化を目指すとのことです。ちなみに、パスポートの発給申請は現在、窓口だけで行われていますが、22年度からはネットでも可能となり、収入印紙で支払う手数料はクレジットカード払いできるようになります。
行政手続きを行うのは公務員であり、それを支えているのは私たちの税金です。つまり、行政手続きの簡素化は、税金の使い道を効率化するということにもなります。このテーマはこれからまだまだ注視していく必要があります。
(最終更新日:2021.03.29)